>>耐震偽装と建築行政のあり方を考えるシンポジウム [UpDate:2007/5/19]

耐震偽装と建築行政のあり方を考えるシンポジウム(後)


【シンポジウム】

司会
 本日のシンポジウムのコーディネーターを努めていただきます日本福祉大学の片方先生です。シンポジストとして関西分譲共同住宅管理組合協議会の西野三郎さんです。新建築家集団大阪支部の大槻博司さんです。自治体の建築職場の立場からご出演いただきました大阪自治労連・建築職場連絡回の岩狭匡志さんです。そしてさきほど講演をいただきました弁護士の吉岡和弘氏です。それではシンポジウムの進行をコーディネーターの片方先生にお願いします。

コーディネーター
 それではシンポジウムをはじめます。進め方として最初にコーディネーターから問題提起を行います。そのあとそれぞれのシンポジストの皆さんからご発言をいただきます。その後、休憩をとりますのでフロアの皆さまはお手元にあるフロア発言用紙を出していただきたいと思います。後半はフロア発言を中心に討論を進めてまいりたいと思います。


コーディネーターからの問題提起
片方信也氏(日本福祉大学)

 さきほど弁護士の吉岡さんからアメリカ、ロサンゼルスの事例を中心とした調査の内容と本来建築行政、あるいは確認検査の仕事はどうあるべきか、ということについてたいへん的確な、ある意味では日本の仕組み遅れているという印象を強く受ける問題提起でした。きょうのシンポジストはここところが1つの軸になっていると思います。わたしのほうからは、この間、耐震偽装問題発生以降の建築制度の見直しなどがあり、その流れを少しかいつまんでみておき、そしてその論点を整理しておきます。

1.2005年11月、

耐震偽装事件が発生して以降、とくに国会を中心とした制度の改正の動きと、それに関連する政府の緊急調査委員会、あるいは日本建築学会などがこの問題に関する報告や提言をまとめており事態の解明に向けて目指された。そういう状況の下、とくに強調したいと思いますのは、社会資本整備審議会、緊急調査委員会、建築学会のなどの報告や提言をみておりますと、それなりに起こっている事態の大事な点に触れているところです。

たとえば、緊急調査委員会のレポートでは、「後の建築行政全体に問題があり、それがほころびた」という提起があります。さきほど吉岡さんからも指摘がありましたが、98年の確認検査の民間開放がこの背景にあるということです。ただそれにだけに留まらず「日本の戦後の建築行政全体の流れをもう少しみなければいけない」という提起を調査委員会も行っています。そういう点では大事な指摘があったと思います。ただ、民間開放が今回の事態を特徴づけるそういう局面であることは間違いないと思います。その点がこの際、確認しておく必要があると思います。

2.偽装の原因解明と問題の本質を考える

 さきほどビデオ出演をしていただいた平さんのお話しにありましたが、「国は責任を認めようとしない」「国の責任がはっきりしていない」ということが強く指摘されていました。そのことに関連して、民間開放を起こったことが結局、前の国土交通大臣は「問題がなかった」と言っていることです。これは国会審議の過程でそのことを何度か繰り返し、そこは絶対にゆずらないで主張しておりました。そのことの意味がいまビデオのお話しの中で指摘されていたことを通して、「なるほど、もし責任をなんかの形で認めれば、これは国の側からみると大事になる」ということがはっきりに現れています。そういう意味で「問題はなかった」という総括、モノの見方について改めて問題を投げかける必要があるのではないかと思います。

残念ながら緊急調査委員会、社会資本整備審議会などの報告はこの点については一言も触れていません。「問題はあった」という表現はどこにも触れられていない。それでむしろ調査委員会などでは「民間開放は一定の成果をもって社会に定着してはじめている」というふうに断言しているほどです。その点は政府の柱と、調査委員会などの軸線が同じところに立っていることが、この問題の本質をみえにくくしているところではないかと思います。

 「建築確認制度は公の事務」ということは2005年度の最高裁判決でも明確になっていますが、前の大臣は「そうだ」ということをこの最高裁判決を引用していっています。しかし、それをどのように保障(担保)するのかというところで、まるで考え方と具体的な政策の方向というのは、わたし達が責任を取れといっているその公の責任と、公の事務ということを明確にするというその見方は、こういう制度改正を進めてきた行政側とは大きな食い違いがあって、実態としては確認検査というのは民間機関にほとんど流れていった。大半の確認業務がそこで行われる。それが営利優先の流れにはまっていく事態を生み出したということだろうと思います。

それでそのことが一番大きなことだと思いますが、民間、民間ということで民間の経済を優先する、そういうアメリカの国でさえ、建築というものを通して市民の安全を守るということについては誇りをもって仕事をしていることがさきほど紹介されました。それと引き比べますと同じような民間の活力とか、そういう流れをとりながれも日本はより露骨な市場原理主義に走って、その流れの中で建築という、その仕事とそのもの自体がまるで一般の商品のように様変わりをしてきたところにもう1つ背後のところにあるのではないかと思います。

この流れをどういうふうに切り換えていくのか。そのためには建築に関連する人々の問題提起、あるいは国民の皆さんの期待に応えていくことを真摯に考えていく。そして、その流れをどう大きくするかということ抜きに、その流れを変えられないのではないかと考えます。

3.建築制度の見直し

いくつかこの仕組みをたどってみますと、ここは問題だと思うところがあります。それは何かと言えば、それぞれ建築基準法、建築業法、建築士法、それぞれの制度の中でそれによって総括される建築の専門家達が何をめざすのかというところが明確ではない。そのことが横並びにしてみるとよくわかります。これではやはり建築をどう捉えたらいいのかということについてバラバラで目標を持ちにくい。むしろ経済的に論理によって押しまくられ、ますます歯止めもかからないという状況があるのではないかと思います。

しかしながら、たとえば建築士法が生まれるときの議論をちょっと振り返ってみますと、大事なことはやはりある、ということがわかります。そのことがたまたま「日本建築士」(1940年)という古い雑誌を見ておりましたら、津川俊夫の論文「新国民組織と建築士」が載っていました。戦前からの議論ですが、当時は国民に安全で使いよいそういう住宅がなかなか提供できないというそういう状況を受けて、「建築という仕事は、住む人の住まいをどうつくるかということを考える仕事である」という提起を津川は行っている。建築士法の制度だけをみると理念と目標が書かれていないと思いますが、歴史をみますとそこのところをちゃんと論議をしている。制度化するときにそこが抜けてしまったという、そういう経過があることを思い起こしていただきたい。

建築学会の提言は、建築生産の関係者間で、「より良き社会資産の形成・継承」という理念であるということは述べていますが、これは大事な提起です。ただそれを実のあるものにしていくためにはどうしたらいいかというその点については触れていない。具体的な提起について突っ込みが足りないというところが残念です。問題提起としては建築の資産形成にかかわる大事な点が抜けていることを指摘しておきたい。

4.建築行政はどう進むべきか

 構造計算適合判定機関はどこがするのかということが大きな論点になっております。都道府県のある区域でが「構造計算適合判定を行う技術者足りない」などの問題が起こっております。新聞報道上、国交省は「それは他府県でもかまわない」という判断を示している。他府県でもかまわないとなると改めて問題も発生する。現場をちゃんと見ることが一番大事なポイントという指摘が吉岡さんからありました。そういう観点からいっても、機関がどこでもいい、県外でもよいとなれば、現場をよくみてチェックする機能が低下することが危惧される。そういうことを踏まえて改めて何点か整理してみます。

(1) 自治体のチェック機能を強化することがポイントの第一番目にあげなければいけない。そのための体制をどう整備するかというところが論点となり、各シンポジストの方々から問題提起があると思います。

(2) 建築確認をどう考えるかということですが、吉岡さんのお話しでは、ロスでは建築は許可制度となり、そこで出されたプランチェックや施工の流れを厳密にチェックする。しかもお互いに理解しあった関係でチェックする。チェックする側のインスペクターの方々がそのことに対して誇りをもっている。そういう意味からそこを日本でどのように近づけていくのか。許可制度にすぐできないにしても、これに近い運用が求められおり、そして、そのことにより公的な責任もはじめて明確になると思います。

(3)そうなると改めてまちづくりのプラン、地区計画などいろいろな仕組みがありますが、そういうものにきちんと適合して、その地区計画やまちづくりというようなものについて地域の人々、住民がきちんと参加する、そういう仕組みをより充実させていくことが不可欠になってくると思います。


 以上の3点の提起をいたしました。この方向だけで議論ではなく、広くシンポジストの方々から問題提起をいただきたいと思います。それではシンポジストの皆さんからお話しをしていただきます。まず最初に西野三郎さんからお願いします。


耐震偽装について
NPO法人関西分譲共同住宅管理組合協議会 事務局長 西野 三郎氏

 関住協と言いましてマンションの管理組合の団体でつくっている組織の事務局長をしています西野です。わたし自身は建築行政にかかわっているわけでもなし、建築の専門家でもなく、単にマンションに住んで、管理組合の活動をいろいろやっている中で、たまたま今度の偽装問題ではマンションが多くありました。

マンションの住んでいる立場からということでは、さきほどのビデオの発言、それに関連した文章でほとんど言い尽くされています。今日ここに来ておられる方は、自治体労働者で建設にかかわっている建築士など、専門の方が多いと思います。この事件を通して、これでほんとうに建築行政が変われるのか疑問に思っています。

わたしは30年前にマンション買って入ったのですが、入ってすぐに建物はひび割れてくる、廊下の隅は爆裂で落ちるなどいろいろと問題がおきました。分譲主に交渉すると、「あんたらそんなことを公表して資産価値が落ちたら売られへんで」と居直る。そういうなかでずっと交渉をして補修をさせました。初期に建物の補修にかかわって、それが尾を引いて、結局、そのまま20数年管理組合にかかわるという羽目に陥ってます。

そういう経験からいえば、ついにくるところまできたのかという思いと同時に、ほんまに解決する手立てが取られたのか、というところが大きな疑問としてあります。きょうはそのへんのところでは専門家の方がおられますので、答えていただけるだろうと思っています。

1.自己責任論について

 今回の問題でも、神戸の震災のときでもそうですが、結局、「個人財産だから援助できない。個人が買ったんだから買った責任で個人で解決しなさい」と大筋でなっている。ビデオの中でも言われてましたが、大阪市がマンション耐震診断に補助金を出すことになっていますが、実際に大阪市のやり方で診断したマンションは数件しかありません。それはなぜかというと、結局、わかっても直す問題が大きく残るために結局調査しないという実態があります。

今回、出てきたマンションだけじゃなしに、旧耐震の建物だっていっぱいあるわけで、そこらも含めてほんまにどうするねん。そういう建物が社会的資産としてきっちりと維持されるために国や自治体がどうするのか。住んでいる人はどうしたらいいのか。そのあたりをほんまに突き詰めていかないと大変なことになりませんか、という気がしています。

自己責任論でもう1ついえば、分譲マンションを買うときに、なんの資料もなしに買うわけです。モデルルームをみて、流しがどうで、間取りがどうで、ということだけを見て買うわけです。工事もされていない中で買うわけです。それで「おまえ買ってんから、買った責任とれ」と言われても、なんの責任もとりようがないわけです。そこのところをどう解決するかという点でいうと、さきほど現場に行政の検査とかいう話がありましたが、むしろ制度としては、いまの販売の仕方では建てる前に購入者が決まっているので、だから購入者が任意の専門家を頼んで工事中の立入検査ができる。そういうルールをちゃんとすれば多少は解決すると思っています。

ただやはり認可の段階でもうかなりいい加減です。マンションの場合、管理組合があってそこの管理組合が運営しなければならないのに集会場がないマンションが未だに建てられている。売ってしまえば終わりやから、駐車料金はタダとか、修繕積立金は異様に安くて管理費だけが異常に高い。それは管理会社に管理費払わないといけないのでそうなっています。耐震偽装以前の問題だっていっぱいある。そこがほんまに行政なり、国がちゃんと指導しているのかというところが大きな問題の1つです。

もう1つ、やはり現場は自治体が検査するのが一番いいと思うのです。しかし、本当にいまの自治体で検査できるのですかというところはちょっと問いたい。というのは、いま大阪市でもそうですが、人員削減の嵐でしょう。なんかゆうたら人員減らして民間委託で、全部民間委託にしようとしています。いま水道料金の問題で大阪市と交渉していますが、「市政改革」のマニュフェストを取り寄せたら、書いてあるのはもう人員削減ばっかりです。そういう中でほんまにそういう検査が自治体ができるのか。自治体も向かっている方向が明確にならへんと、そこで働いている人も、ほんまに力を発揮して仕事ができないのと違うかという気がしています。

わたしは西淀に住んでいますが、かつて公害の町で喘息で苦しんでいても、黒田府政ができるまで公害規制がなんにもされへんかった。いまの大阪府や大阪市は府民や市民の方に向いていません。そのなかでほんまにできるんか。やはり市政なり府政の問題を感じている職員と市民とが手を結んでやっていかへんと、この問題の根本解決はないのかと思っています。


コーディネーター
 いまのご発言は自己責任論でいいのか。いま建てられている建築物はいったいどうなっている。自治体が人減らしというなかで検査をしようといってもできるのかという問題をなげかけられたと思います。次は大槻博司さん、お願いします。


耐震偽装と建築行政のあり方を考える(資料参照P22〜24)
大槻博司氏(新建築家集団大阪支部)

 わたしのほうは建築家技術者集団という肩書きで参加していますが、きょうは行政関係の方々が多いと聞いています。私の話は民間の貧しい建築士が言っているというふうに捉えていただければと思います。

建築というもののおかれている立場

 最初の片方先生も言われたように市場原理主義が進むなかで、建築の目的はなにか、というお話しがありました。いちばんおかしくなる大本は建築が経済活動の1つであり、お金儲けのためにつくられていることが大きな問題ではないかと思います。

(スライド)
  • これは高層マンションのチラシです。こういう美しい絵で周辺の環境などを壊しながら、「眺めがいいですよ、ステイタスいいですよ」とマンションを売っているわけです。大きなマンションは土地費に対して儲かる率が高いですよ。こういうものが建築だ、ということになっていくと建築士も建設業の人も、あるいは行政までも、それを建てさせるために仕事をしているのではとだんだん錯覚してくるような気がします。
  • これはマンションを建てる側の人達の研究会の資料です。つくったら売れるからどんどんつくれということです。建ったら周りの家はどうなるか、などは何も考えない。
  • これは市場調査をしてターゲットをいろいろとしぼっておられる。どうも団塊ジュニア、団塊の方々の資産をねらえということがテーマのようです。
  • 現在、建っている超高層マンションの調査です。上層階は自宅があるのにまだお金があるから買うという人が多い。普通の人は下のほうを埋めてくれたらいいというのが超高層マンションの考え方です。こういう建築物を建築士は設計しなければならない。何を考えてやっていくのかというところで市場に身を任せてだんだんとマヒしてくるのだと思う。これをするために違反ぎりぎりで、総眉宇設計制度やいろんなものを駆使して、住戸をたくさん詰め込んで土地費に対する収益率をあげる。そういうことに力を注ぐようになってきてしまうという背景がある。超高層マンションが大流行ですが、安全性を疑問視する議論はだんだんと増えてきましたね。エレベーターが止まったり、ロープが切れたりしても新聞にも出なかったのですが、最近だいぶ言われるようになりました。これは紀伊半島沖の地震を想定した図ですが、色の濃いところは周期が長い。超高層マンションの場合、周期の長いのがきたらどうなるのかということがちょっと不安をもって言われるになりました。それでも超高層マンションは設計される。耐震偽装はないのですが、それでもほんとうに安全かという問題があると思います。

耐震偽装と技術者倫理について

  • これは構造計算書のある部分です。左側は1972年頃の手計算でやっていた頃のものです。右側はコンピュータでやっているものです。今は構造計算のプログラムを使ってコンピューターで計算されています。手でやっているときはいろんなモデルを想定して計算する。一度間違えばやり直すのは大変ですからかなり考えてやります。コンピュータの場合、とりあえず数値を入力すると答えが出るので、正しいと思っています。これは構造計算に限らずコンピュータというものの弊害だと思います。少し手を入れて答えをちょっと変えるということをやってみる。この間、問題になった「アパホテル」の偽装は荷重を少し減らしたということですが、手計算では、偽装するために何度もシミュレーションをするのが大変ですが、コンピュータは数値を入力すると、答えがすぐに出るので偽装がしやすくなっているのではないかと私は思っています。
  • これはマンションの柱、梁の断面図です。これだけ鉄筋量が違うのは誰がみてもわかる。でも申請書にこういう図面を付けなくてもいいということになっているらしく、コンピュータの構造計算書の前と後ろだけをみて「OK」としていた。
  • さきほどビデオの中で平さんも言われていましたが、このおかしいとわかる図面を多くの人がみているのになぜ通ってきたのかというのは疑問ですね。
  • 設計者と構造を審査する人が以前は、こういう考え方でこうやったからこういうことになったんだ、という技術的なやりとりをしていた。いまは計算書をみて、「間違いないですね」ということでやっている。
  • これは土木学会の本で、土木学会は1938年に倫理規定をつくっている。調査・設計に関する倫理的な問題 交通量の水増し(参照:資料−1)──これは土木学会が土木技術者に倫理的なことにかかわる問題についてアンケートをとったものの一部です。交通量を水増ししてなんとか道路をつくろうという話ですが、それを倫理観に照らしながら説明した本です。土木というのは道路、橋、堤防とかそういう直接国民の命にかかわるものです。道路で儲けるということには当然、ゼネコンが係わるのですが、マンションのようにそれをつくって売って儲けるという仕組みは土木にはありませんから、比較的純粋な技術者の集まりかなぁというふうに思います。それを1つの例としてわれわれもそのへんもみながらちゃんと倫理を確立していくことが必要と思います。

建築設計という仕事の仕組みと建築士の現状

  • 建築主と住み手がイコールで住み手の要求を反映して、住み手が豊かな住環境を手に入れるためにわれわれ設計をするわけです。工事をする人とも信頼関係をもってよりいいものをつくっていく。こういう関係の中では偽装というようなことは起こりにくい。
  • マンションの場合はそういう単純なものではなく、最近はとくに広告代理店というのがものすごく力をもっております。わたしもいまは一人でやっていますが、以前勤めていた25年ぐらい前はマンションの設計をたくさんやりました。その頃から、広告代理店は宣伝という意味では力をもっていましたが、いまは、「こういうデザイン、こういう形、こういう間取り、こういう設備をつけないと売れません」という広告系の人の意見が力を持っています。またモデルルームコーディネーターが売れるマンションのインテリアを考えて、いったいだれが設計士がわからない。設備がまた売るための大事なポイントで、食器洗浄機、床暖房、浴室乾燥機というこの3点セットがマンションに付いていないとダメで、そこが非常に重要でデベロッパーが直接口出しするわけです。ニュースなどでは元請け設計などという言い方をされますが、建築全体の設計をするというわれわれの仕事がどんどん矮小化されている。しかもたくさん住戸を詰め込んで、周りの環境に関係なく売れるモノをつくるということが至上命題になっている。
  • そういう中で、設計料というのはどんどん減ってきています。93年から2002年というのは販売価格は下がっているのですが、販売、モデルルーム、広告料はその割合が増えている。そういう中で設計料というのは広告宣伝費の半分になっている。
  • 梶浦先生が新建の雑誌に書いた、そもそも分譲というものの供給方式の問題を書かれています(参照:資料−2)。コーポラティブという形で住み手とつくり手がいっしょになってつくる共同住宅がよいと書かれています。何かそういう建築のつくり方のほうにシフトできないかと思います。

建築関係法制度の問題

  • そもそも建築関係の法律は誰のための法律なのか、ということです。建築基準法の第1条では、「国民の財産と健康を守り、公共の福祉に資するための最低の基準である」ということが書かれている。ところが市場の原理にあわせるようにどんどんと緩和されています。その1つとして、建築行政の方はご存知だと思いますが、「天空率」というのがあります。空がみえたら高い建物を建ててもかまわないということです。どういうことかと最初出てきたときはびっくりしましたが、都市部の場合、そのほうが高い建物を建てやすい。横に長い10階建てよりも細長い20階建てのほうが建つわけです。そういうふうに法律のほうが市場に合わせてきている。
  • 今回の法律の改正の問題については行政の方に譲りますが、1つは構造計算適合判定機関の問題です。 ここに及んでも「構造計算適合判定機関で、あくまでも構造計算のモデル、計算式適合をチェックするだけで、図面と計算書の照合は行わない」と国交省はいっているらしい。民間確認機関は中立要件を厳しくするということですが、親会社とみなす基準を低くするということで、あまり実効性はなさそうです。
  • 構造判定員の要件は、大学の先生、研究機関ということで、十分な人員が確保できるかどうかは疑問です。建築主の確認申請の費用負担が増え、確認申請期間は長くなるということです。

今後のあり方について

  • まず売るために建築を厳しくすることができないだろうか。一括下請禁止でマンションなど一定のものについては書面による合意を得てもダメと変わります。それと同じような考え方で、一定のものは基準を厳しくする。たとえば、民間に出さないで絶対に行政に出さないといけないとか、検査を増やすとか、あるいは許可制にならないのか。法律についてはバラバラに緩和した環境悪化につながるものは整理して見直してもらう。建築士法も建築士のあるべき姿をちゃんと定める。われわれ自身の倫理のほうも業務独占が与えられているわけですから、アメリカのように医師と弁護士と同じような地位と報酬を確認し、誰のために仕事をするのかという倫理観をもって臨むことが大事です。そのためにもどちらか先かは別にして設計施工は禁止することも大事だと思います。

コーディネーター 
ありがとうございました。建築士の立場から建築その中身がずいぶん変わってきている。さらに住み手と建築主が違うというようなことから起こるさまざまな問題、それをどういうふうにしらたいいのかということなどが話されました。次は行政に働く立場として、岩狭さんから発言をお願いします。


大阪自治労連 建築職場の立場から
岩狭 匡志氏

 岩狭です。職場は八尾市の建築指導課、実際に構造の審査も担当しております。わたしの資料(P28〜34)と「住民の安全・安心を保障する職場を守るために」という冊子もご覧いただきたいと思います。こちらの冊子は耐震偽装問題を契機に建築職場、また労働組合の中でもほんとうにこの状態でいいのかということで議論を行っていました。

法改正にあわせてこのような討議資料をつくりました。ただつくっただけではなくて、職場でも議論するなかで、本日の資料の43ページ以降に、たとえば国土交通省のほうに法改正、制度改正にあたって、ここはこういうふうにしてほしい、こういう考え方ではどうですか、ということを含めて要望や要求書、また大阪府のほうにもそのような形で行ってきて、一定懇談とか申入れという形でやってきていますので、そちらもご覧いただきたいと思います。

1.今まで確認検査は本当に大丈夫だったのか

 さきほど西野さんからもご指摘があったところですが、構造審査に限ってですが、その点について考えてみたいと思います。

ア 確認について
  1. 耐震偽装問題が出てきて、指定確認検査機関(民間)に対して国が緊急立入調査(05年12月)を行いました。その中で構造審査に「疑義あり」が約15%でてきました。
  2. 国が耐震性サンプル調査を行い、これは中間報告しかまだされていません。概ね5年前(平成12〜16年度)までのRC造10階以上の分譲マンション等の耐震性の調査を実施しました。そういう中で「疑問あり」が7%出てきました。は「疑義あり」ということで、疑わしいけども大丈夫だったというものも確かにあります。耐震自身に疑問がありというものが7%出てきたというのは非常に衝撃的です。そうしたら7%以外のものは大丈夫なのかということですが、必ずしもすべて構造検査で疑問がないと言い切れないのが実態です。
  3. 施行都市会議の「構造計算偽装事件に関する報告と対応アンケート」をみましても、今回の耐震偽装はどうなのかと問いますと、耐震偽装が「見抜ける」というのが5%しか回答がありません。「見抜けない」が38%、「わからない」57%で非常に心配な状況があります。
  4. 社会機構分科会報告書(98年3月)は、国土交通省(当時、建設省)が阪神淡路(大震災)の問題もあり、その後のグローバル化の社会の中で、仕様規定から性能規定への流れの中で調査をしており、「行政担当者を対象とする意識調査」もしています。その中で「電算プログラムが内容を理解せずに利用されていることを感じる」「設計内容の十分な検証なしに確認申請されることが多い」──ということが明らかになっています。それと同時に審査をしている側についても、審査している自分たちの知識や能力が不十分だと感じるというのが約9割もあります。民間開放をする前に実態を調べたところでもやはり、状況としては十分なものでなかったということが明らかになったのではないかと感じています。

イ 検査について
  1. 「構造計算偽装事件に関する報告と対応アンケート」をみますとかなりまちまちで、行政にいては細かい検査をされているところもあれば、そうでないところもあるということがよくわかっています。
  2. 社会機構分科会報告書(98年3月)、この当時の構造担当者に聞くと、「工事監理の実状で改善すべき点は非常に多い」と答えている。契約が曖昧なので工事の監理自体が行われていないことが多い。工事監理者の知識不足についても多いと感じる人が多い。一般的には工事監理者というのは意匠系で構造をきちんとわかっておられる方ではないという状況がありました。98年の時点でもそうであったにも係わらず、民間開放がされていった。中間検査という制度も導入されましたが、工事監理自体は形骸化したまま進められた。また審査のあり方もきちんとした体制が組まれないまま、どんどんと民間開放されていきました。

2.民間開放の影響

ア 量的対応と質的対応

民間開放することによって、確かに完了検査を受けられる方は増えました。98年のときは検査を受けられているのは3割ぐらいでした。非常に全国的には低い水準だった大阪府内においてもいま現在では7割、8割という状況にあがってきたのは、中間検査制度が入ることによって検査率の向上につながったのは確か思いますが、中間検査を入れて量的なものには対応できたのかもしれませんが、質的なもの、ほんとうに確認検査そのものが実効あるものになったのかというと非常に疑問はあります。

イ 審査機関の市場競争の実状

冊子の7ページ(参照:資料P7)のグラフは、審査機関は皆さんがよくご存知のコマーシャルをやっているような住宅メーカーが特定の審査機関に集中している状況がよくわかります。そういう状況下で現在、大阪府下では9割方ぐらい民間にすべて確認検査がシフトしてしまっている状況です。大阪府内だけでも現在30社あまりの民間機関があります。

「確認申請シェア割合推移」(参照:資料P30)で一番下が特定行政庁です。財団系指定機関は財団法人で、大阪府内で言えば大阪防災センターなどです。株式会社は非財団系指定機関で、そこだけがどんどんと増えています。財団系とか特定行政庁などはどんどん減っています。営利目的でやられている株式会社のところがどんどんと増えてきていき競争が激化しています。その中で本当に公正中立性が保てるのかというのが問題であると思います。

ウ 行政の弱体化

人数も減ってきていますし、他の業務がいろいろ入ってきています。中間検査が入ってきたり、リサイクル法、省エネ法、そういったいろんな業務が増えているにもかかわらず職員が減ってきております。そのなかでも技術がどんどん外に流失しており、審査や検査もないので技術力が下がっている状況にあります。

3.法改正(新制度)の影響

そういうなかで法改正がされるということです。行政の中で2つ(建築基準法改正案に対する・構造計算偽装事件に対する)のアンケートされている中でもいろんな問題が指摘をされています。危惧があるようです。非常に作業自身が遅れています。この時期にはすべて政省令ができているはずなのにまだパブリックコメントを終わったところという状況です。新たに構造計算適合性判定機関をつくりますが、その結果、確認の申請書が倍ぐらい増えます。

大阪府は非常にお金をとるのがうまいところですので、手数料的には全国で一番下のほうだと言いながら、お金が高いような設定になっています。内容自身も判定機関に出しますが、そこでの判定にかけようと思うと構造設計というのがガチガチな状況にされてしまいます。一般の構造設計者の方についても能力を伸ばすことができる制度なのか。審査機関側も能力を維持するためにこういう制度がいいのか。この制度を恒久化することがほんとうにいいのかというところは危惧をもっているところです。

4.確認検査の質的向上に向けて

 建築行政の体制整備ということで問題提起をいただいていますが、やはりここのところというのは必要なところなのかと感じています。指定機関の監督もしろということ法改正もされていますが、実際の確認審査も検査もほとんどやったことのない人間が監督に行くということは形式的な監督しかできない。ですから現場があり、技術力をもった人間がキチッと行政の中にもいて、そういう人たちと民間とが協力して法の実効性を確保できる仕組みが必要であると思います。

 工事監理が非常に形骸化しています。八尾市で調べてみますと、年間200件ぐらい同じ人が戸建て住宅の工事監理で名前があがっています。八尾市で200件ということは東大阪で300件、400件やられている。そんな簡単に工事監理はできないと思うので、そういったものもキチッとしないといけないし、施工と分離をするということで独立性をキチッともたせるということが欠陥住宅を含めて改善ができるのではないかと思います。


コーディネーター
 なかなか厳しい職場の実態が報告されましたが、それでは吉岡さんに再びご登壇いただきます。


吉岡氏
 今回の姉歯問題は2つの防波堤が崩れたということであり、1つは建築士による工事監理、これが建物の安全性を確保するために決め手の1つあるはずなのに、建築士の工事監理がどこへいったんだという点が1つあるわけです。もう1つは、民間検査機関の検査、これが安全性と見逃す人たちがいたとしても、そこで防波堤になってチェックをするという、工事監理と検査機関の検査、この2つの防波堤が崩れてしまった。

きょうのシンポジウムでは、建築行政に焦点をあわせたたシンポジウムですが、その際にも忘れてはならないのはやはり建築士の工事監理をどうするのか。なぜ建築士が工事監理をしっかりできないのか。その建築士の工事監理と建築行政が車の両輪となって建物の安全性をチェックしていく。そういう建前になっているわけで、この工事監理をいかに本来のあるべき工事監理にさせていくかと、というところもあわせて考えていかなければいけないのではないかと思います。

コーディネーター
 いまの点、最初の問題、民間機関の検査との関連で、改めて建築士の技術者が工事監理を、一通り、シンポジストの方に話をしていただきました。
質問ということで出ています。吉岡さんに3人の方から質問が出ています。もう少し詳しく設計監理者とインスペクターの関係について教えてほしい。ロサンゼルスの場合、改革のきっかけになったのは何か、いろいろ教えていただきたいことがあるということです。わたしから紹介するよりも発言していただいたほうがいいのと思いますので、質問者の川本さんからお願いします。

フロア発言(京都 設計士 川本氏)
 すごく吉岡先生のお話におどろきました。もともとお互いに信用できないという、あれだけ監理の、設計監理者というのはどういうふうにやっているのか。
設計監理者とインスペクターの関係はどうかということをもう少し詳しく教えていただきたいと思います。

フロア発言(吉田氏)
民間の設計士の吉田です。吉岡先生への質問はロサンゼルスであまりにもあざやかな改革だなぁと思いながら聞かせていただきました。
こういうことが日本でもできたらいいなと思いましたし、9年前からはじめった改革でこれだけのことができるのなら日本でもその気になればやれると思ったのですが、ロサンゼルスでこれだけのことがやれた契機が何だったのかをご存知であれば教えていただきたい。

吉岡氏
 最初の監理と検査の関係をどう考えているかという質問ですが、わたしのレジメのP3のところで、(6)ストラクチュル・アブザベイションとピア・レビューですが、ストラクチュル・アブザベイションは建築士・エンジニアそのものが現場に行くチェックをする。これはあくまでの自分自身の設計に誤りがないのかどうかということを確かめるための行為であって、検査とは別問題です。自分の設計監理が正しいかどうかを自分自身がチェックしていくというようなことをやっている。

ピア・レビューは仲間同士で自分がやった図面をチェックしあう制度です。これはなれ合いにならないのかという質問をしましたところ、いくら仲間に頼んでも頼まれたほうはちゃんと費用をもらって仕事をしている。ここでなれ合ってミスをおかしたら両方とも損害賠償になるということなので、こことここを直したんだということをキチッとわかるように赤を入れる。あとでもし問題が起きたときでも自分はちゃんとピア・レビューをしました。自分のピア・レビューには問題ありませんでした。ということが後から証明できるような形になっているのでなれ合いというのはできないと言っていました。

6ページのエンジニア自身が設計上の訴訟社会の中で責任を問われた場合に備えて、専門職過誤賠償責任保険(プロフェショナル・ライアビリティ・インシュアランス)という保険があり、かなり高い掛け金で保険にかけている。もしものときはこの保険でまかなう。職業検定基準局というところで厳正に取り締まっていて、登録制度そのものが廃絶される場合もある。自分たちが専門職である、プロフェショナルである、市民から支持される行動をとらなければいけないという倫理観が非常に厳しく定められているところが印象に残りました。工事現場で監理者がどういうふうにしているのかというところは、わたしたちが調査に行ったのがインスペクション人たちだというこということもあって、詳しく皆さま方に提供できるような情報はありません。

ただいまお話しをしたように、建築士もエンジニアも絶えず自分は罰せられるかもしれないと、訴訟をおこされるかもしれないということを考えながら行動し、やることは一応やっておかなければいけないということになっている。これだったら監理だけでいいはずで何も検査はいらないのではないかというのがP4のの議論です。民間開放をして検査するのになぜ市が検査をしなければいけないのか、という議論がおきたのもこのことだろうと思う。

次の質問がなぜこの改革のきっかけが生まれたのかという議論につながるのですが、ロス市でもそれまで自信をもってつくっていたはずのアメリカの建築物が地震で壊れてしまった。この地震がやはり大きなきっかけになったのではないか。それがなぜその後、厳しく改革を迫られていったのかというあたりも詳しくご紹介できませんが、1つは行政が積極的に市民をアピールしていくという、またエンジニア・建築士のほうも最初はひどかったけど、最近はよくなったという声が何人から聞かれて改革に成功していったという声がありました。

コーディネーター
続いて吉岡さんへの質問です。発言よろしくお願いします。

フロア発言(神戸市 住宅検査官)
 わたしの質問は1点だけですが、住宅検査官制度について吉岡先生は日本の現状をよく分析され導入に向けての現実的な提案だと思います。官から民へ、官から民への流れに逆らっているわけでもございませんし、検査責任は民(建築主)の自己責任だという、それをよくおさえられた非常に現実的な提案だと思います。なぜその住宅検査官制度はわが国で導入できないのか。どこをどういうふうにすれば先生の提案が進むのか。そのあたりが具体的によくわからないと市場経済主義が進む日本での導入は難しいかと思います。よろしくアドバイスをお願いします。

吉岡氏
 法政大学の五十嵐敬喜教授らが岩波新書から「建築紛争」という本を出されています。その中で五十嵐さんが、日弁連で9年前から民間開放、9年前から建築検査官制度を提言しているのに、国交省はこれを無視し続けた。それはいったいなぜなのか、ということを書いています。それはなぜなのか、きわめて非現実的な提案だと、行政を小さくしていこうという時代に行政を大きくしようという提案、いまどきそんなことは通るわけがないだろうというふうに言われてしまうのですが、そういう民間開放なり、規制緩和の流れの大合唱の中に埋もれてしまっている。

もう1つは、国交省などが民間開放を反省して考えを改め従来の制度を前提にしたままさらに新しい検査機関をつくるという、やり方をしていて、いったいそれはなぜなんだろうというふうに思っています。審議会のメンバーをみると民間開放を進めたメンバーがまたそれを議論しているわけです。国交省の指導課長や、住宅局長をふくめてみんなで民間開放を大合唱をした連中がいま国交省(国)をおさえているわけです。その連中が自分たちがつくった制度が間違っていたという、という状況はまずいと思う。そういう中で外からほえていてもなかなかダメではないかというふうに言われる。

しかし、きょうの資料の中で、インスペクター、P42に新聞記事が載っていて、参考資料3(P3)に出ていますが、インスペクター制度がいつの間にか導入されているのです。採用していいのかなぁという動きがでてきたのかなぁと思います。いま発言者がおっしゃるように、現実的な制度なのではないかと、中国でもこういうアメリカの制度にならっている。日本から中国に行かれている構造設計士の方から話を聞くと、中国ではまさにいまこの制度をやっている。そういう状況の中で日本が取り残されてしまうような、国際的にも立ち後れてしまうと、まわりがアメリカにあるような方向に向かっていることもあって、すぐにはこういう状況をつくることは難しいかもしれないですが、コツコツと国民の理解を得ていくということ以外ないと思っています。なにかいいアイディアがあれば教えていただきたいです。

コーディネーター
いま吉岡さんのご答弁のなかにもありましたが、民間の機関がという問題ではなくて、インスペクターがどういう力と役割を果たすのかということが問題ではないかという指摘がありました。それに関係してフロアからの発言をお願いします。

フロア発言(欠陥住宅関西ネット)
欠陥住宅関西ネットの事務局次長で、胡桃設計という設計事務所をやっています。質問というより意見として述べさせていただきますが、きょうここに集まっている皆さんは行政関係者が多いので、民間確認検査機関に確認を開放したことが問題なんだというベースで話が出ています。実際、民間確認検査機関で偽装が行われていたという事実がありますが、さきほど岩狭さんからの報告にもあったように、今回と同様の偽装事件が申請された場合、見抜けるか、という質問をされて、5%の方しか見抜けると答えていない。そういうような確認申請をやってきた経験からも、おそらく行政も民間と同じ程度の検査しかしていなかったのではないかと思います。

その結果をああいう形で非常にオープンにして世の中に知らしめてしまうやり方、ああいう民間確認検査機関でいろんなことを考えながら公開したということは、民間ならでは判断ではなかったと思っています。ロス市では民間のインスペクターをコントロールしてやっているという話が吉岡先生からありました。なにもインスペクターをやる人間を全員公務員にして建築の行政マンをたくさん増やすということばかりではなく、いま民間確認機関という機関があり、そこをうまく利用し、中間検査なり、さらに何回も検査にいきインスペクターに業務をさせるということで全体の底上げを図る形で民間活用を仕組みとしてうまく考えれば、吉岡先生のおっしゃっているような制度、全く同じものでないにしても、きちんとチェックする仕組みができるのではないかと思っています。

結局、チェックする人の能力です。民間と行政とでどれだけ違うのかという、よくできる人もいるし、できない人もいると、そういう中で民間の中でできる人をうまく使うという方法がうまくとれないかなということを提案という形で発言させていただきます。

大槻氏
 さきほどの質問で、設計監理者はどういう立場で仕事をしているかというお話がありましたし、そもそもわれわれが設計して、ちゃんとまちがいのないように監理をするのが基本だと思う。役所などに確認申請を出しているのは、これこれこういう形でこういうものを自信をもってつくりますので、確認だけしてください、という意味のはずなんですね。許可してくださいではないのですね。だからあえて偽装しない限りは間違いのないはずなんですが、それは能力の問題と、さっきいったわたしの話のなかで、ちょっとこうしたほうが儲かるなどという形でだんだんと崩れていっている。だんだんと崩れていっているから、インスペクターがいるのか、インスペクターありきなのかはちょっとわからないところです。

もう1つ設計施工というのがアメリカにもあるのかどうかちょっと聞きたいのですが、設計施工だったらインスペクターがいるような気がします。自分で設計して自分で建てるのですから、ここはこれぐらい減らしても大丈夫だというのは自分で好き勝手にできそうな気がします。本来は最初に申し上げたように自信をもってこういうものをこういうふうにして設計して、その通り、工事をする人につくってもらうように監理をするという、そういうことしかないと思う。

吉岡氏
 いまのフロアの発言で能力的に民も官も同じではないかという指摘がありましたが、たしかにそうした指摘もあり得るかもしれないですが、むしろ、わたしの指摘はそういう1人1人の能力があるかないかという問題ではなくて、そもそも民と官の違いです。まず建築に官がいなければいけないのではないかと。官がいたうえで民を活用する。民だけですとダメなんではないかと。それは民の中で優秀な方はおられる、まじめにやられている検査機関もあります。

しかし検査という業務と営利を確保しながら検査をしていくのでは、営利と検査は全然方向が違っている。つまり検査というのはきびしく嫌がることをする仕事です。それに対して株式会社というのはやはり営利を目的に効率よく仕事をしなければならない。この方向の違いが根本的にあるのではないか。行政がすべてキチッとやってほしい。それがいまの時代、非現実的であるのであれば、全国でキチッとやっている建築士の方々の力を活用すればいいのではないか。そういう指摘をしているわけです。

個別的なもので違いを言い始めると、それは個別の問題があるんでしょうが、システムとしてベースに官がいなければいけないのではないか。ただ官がいままで威張っていた、いじめていた、ああいうところに行きたくないという、そういう後遺症的なものもありそれをどう払拭するか。国民が自治体にいけばちゃんと建物を検査してくれる人たちがいるんだという信頼をどう勝ち得るか、そこのところをあわせて議論しないとなかなかこの制度をみんなでやろうねという議論にならないのではないかと思います。

アメリカの設計施工の問題ですが、もし問題が起きたら設計と施工した両方が被害者に賠償する。そのあと、内部的な「おまえが悪い」などということなく、お互いに責任を分担しようという流れになっていて、設計監理と施工の分離という議論がやや崩れてきているというのか、むしろそれを前提にしてそれは当たり前のことで、その上で設計と施工をいっしょにやろうという、そういう動きが出ているように見受けられました。そのときに検査があるといいですねという議論になるわけです。

コーディネーター
 いまの流れからの関連で、少し遡ることになりますが、議会なんかでも条例が提案されていて、結局、法改正をどう評価したらいいのか。積極的に自治体が対応するためにどうしたらいいか、という質問が岩狭さんにあります。それに関連して発言していただきます。

岩狭氏
 いまの現状でなにを積極的に取り組めばということですが、法改正がされまして、実質施行が今年6月中にされるわけですが、その中でも新たに自治体においては、指定確認検査機関への監督強化、立入権限の付与といったものがありますので、別に民間機関をいじめるとかそういうことではなくて、自分達の能力や技術も生かしていくことで、また民間開放されている市場のなかでも緊張関係を保っていく。まじめに業務をされている民間確認検査機関もあれば、ちょっとどうかなぁというところがあるのが現実です。民間確認検査機関をの市場をキチッと機能させる上でも緊張関係をもたせるような立入権限を利用していくことで前進していくるのかなぁと思っています。

また、工事監理者の問題についても、着工届けの際にきちんと選任しなさいということ法改正のなかで盛り込まれていますので、そういうことをきちんと行政のほうがどれだけみていくのかということも必要だと思っています。国のほうは耐震偽装があってから、行革の中で建築行政の職員が減っていることについては国もどうかなぁという思いがあるみたいで、今年の2月にはきちんと体制整備にしなさいという通知も出していますし、この間の国会の議論のなかでも12月の士法改正の際にも、通常ですと特定行政庁に対して交付税がおりてくるときに、従来は確認検査の件数でしか交付税算定はされなかったのですが、実際には民間開放されており、確認検査は極めて少なくなっているのですが、それだけではなくて、他の政策的なものも含めて、交付税算定のなかでキチッと盛り込んで、きちんとした体制整備ができるようにと。

また、整備をどういう方向でしていくのかということについても都道府県に対して、プログラムなどを策定しろとなっているので、そういったものをほんとうによりよい方向でやるにはどうしたらいいのかということを今後、自治体の中でも、また住民の方々とも、交えながら考えていくことが必要なのかなぁと思います。

コーディネーター
 いま住民の方からいろいろ問題提起を続けるとか、あるいはいっしょに考えていく場、そういう機会をつくることが必要という意見がでました。冒頭の発言では自治体はほんとうにやってくれるのかという問題提起をされましたが、西野さんのいまの議論を聞かれて、いま岩狭さんから出た答えをポイントにしてコメントをいただきたいと思います。

西野氏
 いまやっぱり行政と住民の間がかなり不信感が横たわっていると思う。そういう意味では、労働組合なりが住民と直接話をする場をもっと持って、住民にもっと知らせるということがなかったら、
住民の中にある不信感は解消できないと思います。

コーディネーター
 二方から質問を受けまして、そのあとシンポジストの方々からまとめの発言をお願いします。吉岡さんに質問です。

フロア発言(川西市 営繕課職員)
 アメリカの建築確認検査制度はうらやましいかぎりです。ロス市において建築技術者(公務員)の地位はどうなのか?日本の場合、一般職と同じ扱いでそれでは良い人材が集まらないのではないか。何も医者や弁護士と同じ扱いとまではいわないが、いまの状況にそれなりの現任があるのではないかと思います。それといろいろ施策があるのですが、最後のページに書いてありますように、民間委託したらますます審査する物件が減ってますます技量が低下すると危惧をもちます。

吉岡氏
 のところで、終身雇用だというふうに言って、アメリカなどは転々と職をかえるのが当たり前かなぁと思っていたら、こういうことを言われたのです。それから継続的な教育をして常に民間に負けないようなレベルアップしている。このような話の程度でしか具体的に他の職種よりも給料が何割上かなどという取材はしていません。

ただ感じたのは、P4にありますように、業者からの圧力とか、いやがらせだとか、いろいろあるようですが、そのときにわたし達が感じたのは建築安全局長の姿勢です。トップがおれたちが市民の命を守るのだ。おれたちでなければ守れないんだという信念。トップが市民の集会へ出かけていってPRをする。極力そういう場所に呼ばれたらいくという、こういう姿勢をもっている上司が上にいるということだけで、部下は非常に仕事をやりやすいだろうなぁという印象を受けました。こういうトップがいる職場だったら、仮に、圧力がかかってもトップが「そういうことに負けるな」とけちらしてくれるし、部下を励ましてくれるでしょう。日本の建築行政の場合でもトップが建築安局に対する考え方をキチッと身につけてくれば楽しい職場であるし、そして市民の命を守るんだという意識が部下にも芽生えてくるのではないかと思います。

千代田区の建築課の人もいっしょに視察に行って、彼が最初に驚いたのはロサンゼルスの建築安全局というネーミングに彼はびっくりしている。おれたちは建築指導課という指導するところにいるんだという、それに対して建築安全局と名乗っていることにショックを受けたと言っていました。なるほど言われてみたらそうかなぁと、指導課と言えば、「おまえなんかに指導を受けられるか」となるけど、安全局というと「わたし達のいのちを守っている」という印象をもたれる。印象だけではなくて部署のネーミングが自分たちの仕事の中身を表しているということだろうと思う。

具体的に労働条件などの内容をお伝えできませんけども、さきほど皆さんに見ていただいた映像のように皆さん楽しそうに、そして「俺たちは市民の命を守っているんだ」ということを自信をもっていっている。そういう職場だったら信頼を市民にもたれるという気がします。

フロア発言(新建 京都支部)
 私はきょうお手元に配られている資料の説明も含めて、京都の構造計算書偽造問題を考える会の活動経過と今後の運動方向についてお話しをしたいと思います。お手元にタブロイド版のニュースがあって、少しこれについて報告しておいきたいと思います。今回の耐震偽装問題が発覚したのが2005年の11月ですね。その年の12月に建築関係の労働組合からの訴えがあって、ぼくは新建という立場から参加したのですが、組合と新建が、さきほど西野さんが組合と住民がとおっしゃっていましたが、組合と新建が集まってこの問題をどうしょうということを始めたのです。

まずやったのはアンケートです。京都府・京都市・宇治市の特定行政庁、国土交通省近畿地方整備局、建設設計事務所、建設業など建設技術者から172通から回答が返ってきました。それがこのタブロイド版の新聞にその結果が出ています。やはり民間の設計事務所にしても、行政の関係者にしても基本的に規制緩和とか、民間開放、これはかなり大きな原因になっているということが大きな声としてあがっています。大槻さんもいわれましたがモラルの問題ですね。それからさっきのビデオでもあったように、建設業全体の大きな流れの中でという話。それから工事監理というのも出されていました。

わたしが印象に残ったのは、建築というのは何のためにあんねんという話がアンケートの中にも出ていました。社会遺産ではないのだろうかとか、そもそも建築というのは何のためにつくられているのやという問題提起があったのが印象的でした。そのアンケートを受けて、今後の方向ですが、より良い建築創造をめざして「建築法」を構想しようではないかという提起です。これについては片方先生がまとめて(タブロイド版)おられますが、この「建築法」を構想しながら理念に立脚して設計者も行政もすべてどうしたらいいのかということを問いかけいき、会としてはそれがどうしたら実現していくかを検討してこうと考えています。

新建のすぐれた活動家で、亡くなられましたハギワラさんが遺稿集を出版されています。その本の題が「誰のための何のための建築創造か」という題なのです。まさに建築というのは何のためにあるのか、ということを事務所の実践を含めて縷々紹介されています。これはまさに「建築法」の構想を考えときにわたし達の大きなヒントになると思います。

もう1つはご存知のようにいま京都は新景観政策の議会の提案に入っています。マンション、商品としての建築であるマンションが京都を壊している。もうくるところまできた、いまさらという気がしますが、そういう状況でたいへん大きな都市計画の変更が条例として入っていて、高さ制限が厳しくなります。これはやはり京都の住民ががんばったんだと思う。それを背景に「景観法」という国の施策が後押しをし、今回出されたわけですが。いい町にしようよ、いいものをつくろうよ、という声が盛り上がれば、きっとこういったような施策も必ず出てくるという思いで、「建築法」も深めていけたらいいと思っています。そもそも建築とは、ということを基本にすえながら、建築にかかわるものが国民の支持を得られ創設できればいいと考えます。

西野氏
 耐震偽装問題だけでかぎっていえば、銀行の担保責任、銀行が物件を担保にしてカネを貸しているわけで、その責任がまったくと問われずに、二重ローンをかかえるような格好になっているわけです。銀行もだまされたのなら、買った人もだまされたわけやから、だまされたほうが悪いのやったら銀行も悪いわけで、銀行をもっと追求できるようなことはできないのか。そういうあたりのことを研究する必要がいるかなぁと思います。

関住協は消費者団体ですから、だいたいの方は銀行ローンを借りているわけで、そのへん銀行の担保についての研究が今後の課題であると思います。だいたい銀行が担保の設定時に調査する能力と財力があるので、銀行に調査させるシステムになれば、だいぶ情勢は変わるかと思います。

もう1点ですが、さきほども出ましたが、いま自治体に対するいろんな攻撃がある中で、そこで四苦八苦しながらがんばっている職員も大勢いてるわけです。ぼくも昔、大阪市に勤めていてイヤで辞めました。そういう意味では日頃、マンションに住んでいて建築行政ということではいえばあまりイメージが浮かんで来ない。それに遭遇する場面も少ない。そういう意味では、行政がどういう姿勢でどういうことをやるかというのは非常に大事なので、もっと住民との関係で話ができる場なり、そういう場があればというふうに思います。

大槻氏
ひとつは売って儲けるという建築には特別に厳しくするような仕組みができないかということです。民間確認機関はそのままになったんですが、さっきちょっと出ていたような、わたしも民間確認機関に出したことがあるんですが、「3回続けて出してくれたらポイントをつけます」とか、「春の粗品キャンペーン」とかそういうのをやっている。少なくともそういうあからさまなことはやめさせるぐらいの規制ができないのか。建築基準法はさきほど「建築法」という提案がありました。「建築とは…」というところにかえり、緩和ばっかりしている政策はもうやめましょう、ということ。

 倫理のことでいえば、建築士法で受験資格や講習云々という話がありますが、その中に倫理観を育むような、たとえば「こういう圧力があればあなたはどうしますか?」ということを論文として出させるような仕組みが考えられないか。もうちょっとアメリカの建築士のように自信をもって設計をして、役所の人とコーヒー飲みながらフレンドリーに議論できるような仕組みができればいいと思います。

岩狭氏
 わたしも役所に入って14、15年になりますが、行政の役割というのは地域社会、住民の方々の共同利益実現のためであるとか、住民の方々の権利を保障するための仕事をさせてもらっていると理解しています。そういう意味では住民の利益になる仕事ができるときには意気に感じ、がんばって仕事する人たちが多くいる集団でもあります。でもなかなかそうではない状況が生まれているのも確かです。やはり今のところは住民に役に立つ、自分のためになる、そういう仕事をどうしていくか、そのためには技術力をきちんと確保していくことも必要かと思います。

また民間の建築士の方や民間確認機関の方々はわたし達と敵対をしているわけでもありませんし、そういう意味ではフレンドリーと大槻さんいわれていますが、なれ合いにはならなく、かつ緊張感をもち、お互いが良い「まち」をつくっていくために、という関係の中で今後とも、6月の法改正されて相当混乱を来すと思っていますが、そういう中でも住民、国民の安全・安心の信頼回復するためにも建築行政一丸となってがんばっていきたいと思っています。

吉岡氏
 きょうはこういう機会をもっていただいてほんとうにうれしく思います。といいますのは、私たちはなかなか行政関係者の方々と接触する機会がなくて、そういう意味ではきょうはほんとうに勉強なりました。また欠陥住宅の全国ネットを立ち上げたのは阪神大震災の翌年です。

 阪神大震災が起きたときに、いずれ建築界からそれなりの提言がでてくるのだろうと思っていたら、あれよあれよという間に新しい建物が建てられていって、神戸の町は何もなかったかのような状態になっていて、一部良心的な建築士団体とか、行政の方々が意見を述べたものの大きな流れにならなかった。そういうものをみて、やはり建築の中からではなく、外からわれわれ者を申していく必要があるのではないかということで、外から意見をいうようにしたわけです。これからも引き続き外から、素人ではあるけども、建築界の方々にこういうところはおかしい、ということでわれわれモノを申すことは世論を変えていくことにつながるのではないか。内部からなかなかモノが言えないという状況がある中で、こういうテーマを宣伝してほしいといえば、ぼくたちも検討していきたいと思っています。

例えば堺市は民間パトロールをやって、「お宅の家はここが安全ではないよ」とやっている。そういうようなことは非常に結構なことで、そういう安全を守る行政ということになれば、同じ住むのだったら堺市に住もうじゃないいかということになっていくわけですし、欠陥住宅ウイルス説というのがあって、そのまちに1つ欠陥住宅ができれば地震が来たらその建物が倒れて道路をふさいでしまう。そのことによって全部が焼けてしまうわけです。ということになると自分たちの地区のなかに欠陥住宅が1つでもあったらダメなんだと。そういう観点で全体に目を光らせてくれている行政があるところに住むことが、行政そのものが評価を高めることになりますので、そういうことを外から「堺市はよくやっているよ」ということを宣伝し世論を高めていく。「隣の自治体がそうだからうちもやらなければいけない」という、そういう世論づくりにわたしたちを利用していただければと思います。

これから機会があるごとに声をかけていただければ、わたし達のメンバーは散らばっていますので、できるだけ行政と議論しながら、安全な建物をつくっていく方法で内部と外とでがんばっていければいいなぁと考えています。きょうはほんとうにありがとうございました。

コーディネーター
 きょうは吉岡さんをお招きしてお話しをお伺いしました。フレンドリーという言葉が出ましたが、その言葉をキーワードとしてそういう環境をどういうふうにしたらつくっていけるのか。そこのところをロスの場合から学びながら、日本の建築制度に定着させていくためにはどうしたらいいか、そういう非常に新鮮な問題提起だったと思います。

もう1つのキーワードはチェックアンドバランスです。的確な日本語訳はないということですが、抑制と均衡ということで、どうして抑制と均衡といえるのかという、その背景をおっしゃっておられました。それは建築というのは、許可制度があり許可によって利用されている。それが自治体の担当する職員に市民の安全を私たちが保障するという考え方になっているからこそ、チェックアンドバランスという考え方がでてきたのではないかと思います。

そういうことでインスペクター制度というのは生きた制度として運用されている。日本の土木がインスペクター制度の導入するという動きになっているそうですが、これは公共物です。公共物の場合ですから、民間の場合とはすぐに横並びにはできないという問題があります。公共ですので当然、国民の安全を守るのは国土交通省の職員さんだという風な自覚があるのかどうか、そこのところがよくわかりませんが、しかし、公共物というところがあって、ある種のチェックアンドバランスというニュアンスが求められるし、それが可能だったのではと思います。

そこが建築行政の中にもどういうふうに及んでくるのか、そのつなぎ止め方というのはやはり建築とはいったなにか、というところに返っていくわけです。そこのところを理念なり目的として共有する、そのための仕事ならチェックアンドバランスが必要であり、いいものをつくっていくという創造する側の目的となり、住み手の側の利益を保証するという考え方が生まれてくるのではないかということを強く感じました。

また倫理の問題が指摘されています。倫理観を何に立脚点にして規定していくのか。そこのところがきょうは十分議論の中で深めることができませんでした。改めてわたし達建築に携わるもの、またその利益をいろんな形で受けとる住み手や国民の側の立場。そういったところがたぶんの倫理のあり方を大きく規定していくことになるでしょうし、そこでいっしょに住み手である国民といっしょに考えていくということなしに倫理観は出来ないと思う。一方的に専門家のなかで考えたのであればそれは頭のなかだけのことになるのではないかと危惧します。その点、西野さんははっきりといわれませんでしたが、そこのところを俺たちといっしょに考えなければやっていけないのではないかと思っておれることと思います。ということできょうのシンポジウムのまとめとさせていただきます。きょうは長時間ありがとうございました。