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機関紙-自治体のなかま-

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第二部 シンポジウム:都市自治体における分権と協働を考える 前半 [2005.8.29]


自立をめざす都市自治体フォーラム


- 分権と協働によるまちづくりを考える -


第二部 シンポジウム:都市自治体における分権と協働を考える

コーディネータ
加茂利男

パネラー 
吉澤 猛(長野県市町村課長)
佐藤健二(世田谷区地域情報政策担当部長)
池阪雄宏(岸和田市企画課長)
藤永のぶよ(おおさか市民ネットワーク代表)

-加茂利男(コーディネータ)-

 まず最初に4人のパネラーの方々から問題提起していただきたいと思います。私の最初の基調講演の中では都市内分権の話をとばしました。これについては世田谷区の佐藤さんにお願いしたいと思います。
それでははじめに長野県市町村課長の吉澤猛さんから発言をお願いします。私は吉澤さんとは泰阜村でお会いしましたが、田中知事の意向で泰阜村に出向されてリーダーシップをとられているようです。それではよろしくお願いします。


-吉澤 猛(長野県市町村課長)-

 いま加茂先生からご紹介がありましたが、私は平成15年4月泰阜村の住民福祉課に派遣されました。さきほど林リーダーが講演されましたが、コモンズ・地域政策チームという部署と市町村課という部署が実は長野県庁にあります。地域政策という名前がついていますので、結局、長野県のいろんな地域のいろんな業務について、彼らのチームといっしょになって議論をさせていただいています。向こうが政策推進をこちらが制度的なサポートみたいな感じですが、光と影というようなイメージになるかもしれません。

 うちの県の合併の状況を最初にご紹介させていただきますと、来年3月31日で全国の自治体の合併後の数が1822となるわけです。そのうち長野県内では市町村が81になりまして、その中でも村が37、全国の村の約5分の1は長野県にあるという状況になります。

 加茂先生の話にもございましたが、来年3月31日現在で人口1万人未満の自治体が、この1822のうち488ということで、そのうちの43が長野県です。一昨日、共同通信の記事に、新しい合併新法にもとづく都道府県の役割の骨子案が明らかになった、と報道されていました。その中に、1万人未満の団体については合併を進める、という基本指針が盛り込まれる状況になってきています。これから2年、それ以上のもっと長い期間になるかもしれませんが、うちの県にとりましては、小さな自治体をどうやってサポートしていくかということが非常に大事なことです。

 私は1年の約束で泰阜村へ派遣されました。去年2月1日にいまのところに戻ってきまして、実は泰阜村には10カ月しかいなかったのです。人口2000人ではございますが、全国に類を見ないような形で在宅福祉に力を入れてやっている村です。それを各地、同じ市の中でも重層的につくっていくことによって、もう少し大きな自治体、つまり市なら市でカバーするようなイメージができれば一番いいのかなと思っています。

 いま長野県内におきまして、自治体内分権のいろいろな動きがあるのですが、長野市と茅野市、飯田市の例につきましてご紹介をさせていただきます。


■地域主権時代を担う「住民」の3つの側面


 自治体内分権(地域内分権)ということについて、改めてどういう意味があるのかなというふうに考えたときに、最初に思ったのは、地域住民の皆さまにとって自治体は一体どういう役割をもっているかを整理したうえで自治体内分権に入っていくと分かりやすいのではないかと思います。そこで地域主権時代を担う「住民」の持つ3つ側面を考えました。

 1つ目の側面は行政からサービスを受ける「顧客」として側面ですが、正確にいえば受動的な立場となり、これをあまり強調しますと自律した「市民」という、行政に積極的にかかわる「市民」としての側面の部分からは反するのではないかと思います。2番目の側面というのは「市民」です。自治を担う自律した住民が「市民」です。長野県の「自律」はこの「律」を使っています。それは自ら考えて判断して行動するということは、それは人も自治体も同じだと考えてこの「自律」を使っています。

 3つ目の側面としては、そうは言いましても、地域内でわれわれはいろいろと行動している、つまりコミュニティの自主的な活動主体としての側面です。そこの側面をキチッと確保する制度が自治体内分権に絡むのではないかと思います。


■「自治体内分権の前提」となる大原則


 自治体内分権の前提として、どうしてそれが必要なのかをもう一度改めて整理しますと、やはり地域住民が自分のことを自己決定するということの拡充になります。結局は三位一体の改革もそこをねらっているわけですが、財政運営に終始しているということがあり、最終的には財源と権限をともに地域、自治体、基礎自治体で決定できるというのが三位一体の究極の目的になると思います。そういった意味でもやはり、自治体内分権のうえでも、このことが一番基礎になるのではないかと思います。

 いままではナショナルミニマムということで、国による最低保障はほぼ成り立ってきているのではないかというふうに考え、これからの自治体に求められる役割は、保健・医療・福祉・教育、防災等、そういう基礎的なセーフティネットをきちんと維持していくこととその再構築が必要ではないかということです。

 もう1つは、それだけではなくて、地域のみんなの夢を実現するにはどういうふうにしたらいいかという、個性ある地域をつくっていくことです。ですからナショナルミニマムからローカルオプティマムへの方向ではないかと思います。

 そこでキーワードとして「補完性の原理」というものがあります。個人があって、家庭があって、地域があって、市町村があって、都道府県があって、国があって、世界があるというもので、「コモンズからはじまる・信州ルネッサンス革命」と同じ考え方ですが、国があって、県があって、市町村があって、地域であるという従来の中央集権と逆の方向の考え方が自治体内分権の基本として位置づけられます。

 そこで考えられる「自治」というのは3つの種類があり、1つが一番小さな単位、これは自己責任に基づく「個人自治(自助)」、そのつぎがもう少し広い範囲での「住民自治(共助、互助)」、もう1つは地方自治体などの「団体自治(公助)」です。

 次に自治体内分権がどうして必要かという背景・意義を考えますと、1つは、公共サービスが社会のニーズに対応する形で、非常に高度化・専門化してきており、専門的な知識・技術を持った職員が求められているという大規模化の要請(広域化志向)があります。もう1つは、逆に人々は自分のことは自分で決めたい、つまり基本的な自己の決定について影響力を残したいという欲求(狭域化志向)があります。この相反する広域化志向と狭域化志向をどうやって調整するかという中で、1つの自治体の中に重層的な構造をつくっていくことが実践的な解決方法になるのではないかと思いました。

 自治の中には「団体自治」と「住民自治」がある、と私も大学の政経学部で学びました。広域化志向というのは団体自治の強化の側面であり、逆に狭域化志向は、個人の決定権を尊重してコミュニティを豊かにするという意味で住民自治の促進であります。この2つの自治の促進につながる、というのが自治体内分権の2つの側面からみた意義ではないかと考えています。


■長野市の都市内分権


 長野市は平成15年1月から都市内分権調査をプロジェクトで研究をはじめまして、平成16年11月に住民の意見を踏まえた最終報告が出されています。長野市の中で都市内分権をどうやっていったらいいのか、というのがこのイメージ図になります。

 長野市では地方自治法、合併特例法のいわゆる「地域自治区」はイメージしていませんし、またこれを適用しないといっております。

 実は昨日、都市内分権の審議会の第1回目の会合が開かれました。基本的にはこのイメージ図に添ってやっていこうと考えています。大まかにいいますと2つの手法を考えています。長野市は都市内分権というのを、「コミュニティへの分権」をする手法と、市役所の機構を分権「市役所内での分権」する手法の両面からやっていこうということになります。

 「住民自治協議会」として30地区があり、これに従来の区長会、民生・児童委員会協議会、地区社会福祉協議会などを束ねた形でつくっています。これに連動する形で30地区に30支所を設置し、基本的な行政サービス(窓口サービス)を提供したらどうかというのが基本的な流れです。こうなりますと市内を30の「地区」に分けることになりますので、果たしてこれが分権としてうまく行くのかについて議論があります。そこでこの「地区」を束ねる形で「地域」を設定するという案になります。

 「地区」は30ですが、その「地域」は3〜7に統合するということです。もし「地域」の数が3になりますと長野市の場合、人口が38万人ですので、1地域10万人を超える形です。長野市は将来政令指定都市をめざしているということもあり、政令指定都市の行政区をイメージし、少し大きな「地域」にしておくという議論もあるようです。

 その「地域」には「地域会議」というもので、各地区の住民自治協議会の代表者等(約20名程度)で構成するものを設置し、そこに意見を聞きながら、「地域総合事務所」というものを地域単位に設置し、そこから住民に対して行政サービスの提供(地域行政)を行いたいというのが流れです。

 従って、本庁からの行政サービス提供は、住民に対して全市的に共通するわずかな事務だけを残して、あとは「地域総合事務所」が基幹的な福祉などを含めて提供する、というのが長野市の分権のイメージです。


■茅野市の「福祉21ビーナスプラン」


 茅野市はパートナーシップのまちづくりということで、住民参加により200人の住民から参加していただき、茅野市の地域福祉計画というものをつくっております。2年ほど前から国・厚生労働省が地域福祉計画の策定を進めていますが、そのモデルの1つになったのが茅野市の「福祉21ビーナスプラン」です。

 これに関連して生活圏の5つの分け方が自治体内分権につながるのではないかと思います。茅野市では生活圏を1層〜5層に分けてあります。一番小さなところは「行政区・自治会」(5層)です。それを集めたものが「地区」(4層)で、地区というのは小学校通学区単位です。小学校通学区単位を集めて「保健福祉サービス地域」(中学校通学区単位)となります。茅野市は人口5万6000人で、保健福祉サービス地域(3層)として市内を4エリアに分けています。そして「茅野市全域」(2層)があり、「諏訪広域圏」(1層)があります。

 北部・西部・東部・中部にそれぞれ「保健福祉サービスセンター」が4つ(中学校通学区単位)あります。これが基本的な保健・医療・福祉のニーズを行う拠点になっています。そして保健福祉サービスセンターの機能としては、総合相談窓口、ケアマネジメント、サービス担当者会議、在宅福祉サービス、保健活動・健康相談、子ども・家庭支援、障害児・者支援、ボランティア情報交換など、保健医療福祉のすべてのサービスを完結できる形で提供しています。

 茅野市ではこれよりさらにきめ細やかなサービス提供をしたいということから、3層単位から4層ある「地区」にもう少し重点化してやっていきたいということです。今年は各地区のコミュニティセンターに人員を配置し、もう少し小さな分権化を目指し、さらにテコ入れをします。


■飯田市行政区タイプの地域自治組織(地域自治区)


 飯田市は先ほど林さんから説明がありましたように、上村と南信濃村と本年10月1日に合併することになっています。合併後、上村と南信濃村の領域だけですが、そこに「地域自治区」を設置することになっています。

 合併後、合併特例区、地域自治区を設定しようとしているところは、27県で54自治体という記事が出ておりました。長野県の場合は松本市と伊那市と飯田市の3つの自治体で合併特例法、あるいは地方自治法にもとづく一般制度としての「地域自治区」を設定したいという希望があります。

 地方自治法と合併特例法の両方で地域自治区と合併特例区を設定できるので非常にややこしいのですが、上村と南信濃村の新しいところでは合併特例法に基づいて「合併特例区」ではない「地域自治区」を設定することになっています。飯田市は非常に面積が大きく、また、飯田市の中には山村部をかかえていることもあり、「地域自治区」をその他の地区にも設定したいというのが現在の考え方です。基本的には「地域協議会」を設けて、「自治振興センター」を設置するということになっています。そして「まちづくり委員会」と連動しながらやっていくことが法律上の地域自治区とは違うところです。


-加茂利男(コーディネータ)-

 どうもありがとうございます。つぎに「世田谷区の地方行政制度」について世田谷区地域情報政策担当部長の佐藤さんから発言いただきます。


-佐藤健二(世田谷区地域情報政策担当部長)-

 世田谷区の地域行政制度のこれまでとこれから、という題してですが、自治体内分権にしぼった形で発言します。さきほど長野県さんのほうで、地域の住民組織と地域の行政組織という2つの視点から考える必要があるだろうと、それはもっともだと思います。

 世田谷区は人口が約82万です。そのなかで「打てば響くまちづくり」、「区役所が住む人の近くに来る」という発想から検討し、行政の地域分散、分権と自治を実現するということから、地域行政制度を平成3年から実施しています。その基本理念は、82万では広すぎると、住民自治、つまり生活圏としては広すぎるということから、10万から15万程度が限界ということから5つの地域に分けてあります。そこに総合支所というのを設置しています。


■世田谷区の地域行政制度(平成3年度より)


 さきほど二階建てというお話がありましたが、世田谷区の場合、それを区内だけでみますと三層制という形をとっています。

 本庁(区役所)は全区を対象にし、そして5つの総合支所、これが地域です。人口にして大体10万〜20万、そして27出張所があり、これは地区という単位で2〜4万です。全区─ 地域─ 地区、それぞれが役割をもち行政を進めていく。本庁は政策方針、その中枢管理部門が中心です。5総合支所はハード、保健福祉、地域振興のサービスと区民参加の推進。出張所は身近な窓口サービスと身近なまちづくり。地域の団体の支援という基本的な役割としています。総合支所につきまして、ミニ区役所として所長にベテランの部長級をおきまして、その下に区民部、街づくり部、保健福祉センターの3部をおきまして、その下に課長おく、というような体制でやっています。

 もう1つの取り組みとして、地域での行政の分権ということで考えますと、身近なまちづくり推進協議会の設置は区民自治組織という位置づけです。合併問題で地域自治区が地方自治法が改正され施行されました。世田谷区は区民の声を十分に行政に反映させるということから、平成7年に自主的なまちづくりの推進を図るということから身近なまちづくり推進協議会を設置しています。町会、自治会、民生委員、青少年地区委員など大体50名程度で構成され、各出張所ごとに設置され、出張所が事務局となっています。取り組みとしては安全安心から健康、青少年、生活環境、ごみ、かなり幅広くやっていますが、当初の設置目的としては課題・問題の解決、そして権限という問題もあり、むずかしいなかさまざまな事業展開をしております。

地区まちづくり支援・担当職員制度を創設しました。世田谷区には5000人程度の職員がいますが、区民との協働システムとして地区でのいろんな事業の支援、まちづくり等の企画・準備・開催について、区役所の職員が兼務でそういった事業に参加しています。自分のセクションの仕事とは別に、そういう地域の取り組みに共同で参加しています。支援職員制度と言っていますが、私も2年ほど前から玉川地区で土日参加しておりました。もちろん無給ですが、そういった形で地域の皆さんと共同して活動しています。まちづくり支援・担当職員は大体300名、兼務発令で区民との共同の取り組みをしております。世田谷区の自治体内分権としては行政組織の三層制、身近なまちづくり推進協議会、地区まちづくりの支援と、この3つの対応を基本に推進しております。


■新たな地域行政の展開をめざして(平成17年度〜)


 今年度、「魅力あふれる、安全・安心のまち世田谷」ということで今後10年間の新たな基本計画をつくりました。その基本として「区民主体のまちづくり」、「協働・連携の促進」、「自治体経営の推進」、という3つです。さきほど長野県さんが言われましたが、いわゆる自助・共助・公助という概念です。このへんをどういった関連で政策を進めていくか、ということが問われると思いますが、この3つの考え方を基本に基本計画を実現していくということです。

 今年度、とりわけ厳しい財政状況の中で、どういったかたちで今後の地域行政を進めていこうかということです。1つは行政制度の再構築です。さきほど言いましたように27の出張所がありますが、これを再構築しました。区の中では出張所は重要であるということから廃止せずに、そのかわりに7つの拠点出張所、20のまちづくり出張所に再編しました。主な住民サービス、住民票の交付、印鑑証明書などは自動交付機を活用したまちづくり出張所としました。その他の窓口サービスは7つに集約し、20箇所については地区まちづくりの拠点としての機能を強めました。出張所は区民との調整、橋渡しの役割を強化するということで、そういうまちづくり出張所に転換しています。とりわけ第一線は優秀な職員を配置するようにということでかなり優秀な職員を出張所の最前線に送っています。

 そういうねらいで地域行政制度を創設したわけですが、今後とりわけネットワークの拡充というのが大きな取り組みとなってくると思います。その1つ取り組みとして、さきほど長野県さんでは「コモンズ支援金制度」というお話がありましたが、まさにそれと同じような趣旨の支援事業として、「地域コミュニティ活性化支援事業」を創設しました。世田谷区でもまちづくりを計画しましたが10数年経ちまして、理論と実践の違いというのがありますし、停滞という問題もあります。やはり今後連携というのが重要であるということから、区民主体のまちづくりのインセンティブを高めるということから、地域コミュニティ活性化支援事業を創設しました。さきほど10億円というお話がございましたが、世田谷区では2700万を今年度予算化しました。これはあくまでも区民主体のまちづくり、皆さんが主になって考えていただくというための支度金として予算化しました。

 なかまちNPOセンターの設立ということで、町会自治会200、NPOも200程度あります。その拠点センターとして平成17年3月に区の施設を改修して、運営についてはプロポーザルにより自主管理運営ということで「なかまちNPOセンター」を設立しました。ここで公共的公益事業ということで、公共サービスの一端を担うような事業をしています。これについても1事業100万〜150万ぐらいいの助成をしています。その助成金については、世田谷区の場合、金持ちの方が多くて相続であげる人がいないということでかなり多額の寄付が発生します。現在、寄付金で5億円近いお金を基金として積み立てまして、それをそういった共同事業にあてています。


■今後の課題


 地域行政については、世田谷区では10数年経ちましたが、分権自治、自律のためにまずは区民主体の協働・連携をいかに拡大していくかということがあります。さきほど長野県さんの住民自治協議会という構想がありましたが、世田谷でも似たようなものを4、5年前にやりましたが行政が主導でうまくいきませんでした。これは区民の皆さんがそういう必要性をもっていただくのはなかなか難しい。とりわけ世田谷の場合、町会・自治会さんとNPO、これが大きな存在としてありますから、これがどういう一致点で協働していけるか、ということが大きな課題になっています。

 地域自治組織の展望ということでは、身近なまちづくり推進協議会で言いました合併を契機としなくても使える制度ということで、世田谷区の場合はちょっと地方自治法による地域組織とは若干ちがいまして、あくまでも任意団体です。メンバーも区長が選任するのでなく、協議会の委員による互選であります。今後こういった地域自治組織をもうちょっと研究検討しないといけないと思っています。いずれしましても身近なまちづくり推進協議会の中身を活性化していかなくていけないということで、広く区民の参加を形成していくことが課題としてあります。


-加茂利男(コーディネータ)-

 ありがとうございました。20年ぐらい前でしょうか、東京中野区だとか、世田谷区、墨田区だとか、いろんなところでこういうまちづくり協議会、住民協議会、いろんな都市内分権ための制度がつくられまして、関西でも神戸市などではつくられたわけです。それが都市の自治を非常に活性化させたという面があったわけですが、いまどうなっているのか、合併とか、財政危機の中で、どういう状況であるのかということがきょうはお聞きできました。あとで改めて20年間の変化をどういうふうに考えるかという議論をしてみたいと思います。それではそのつぎは地元大阪の岸和田市から報告いただきます。


-池阪雄宏(岸和田市企画課長)-

昨年お伺いしたのですが、今春、愛知県豊田市と合併した足助の町長さんが、「魅力ある農村をもってこそ都市はすばらしいまちになるねん」ということをおっしゃられていました。岸和田は農山村もございます。農業生産高、漁獲高は府内1、2位のまちです。山里を大事にしながら、まちづくりを行ってきた岸和田だと自負しています。

20世紀のある時期、高度経済成長の下で市民の皆さんは利便性を求めたり、即効性を求められた。そういう中で結果として自治力を低下させるような行政運営をしてきた嫌いがなきにしもあらずです。その一方では市民参加、ということでいろんな手法を使いながら、まちづくりを行ってきた。そんな認識をしているわけです。

 岸和田でも、昭和46年頃、当時の自治省からモデルコミュニティの指定ということで、ときの市長がトップダウンで「受けるぞ」ということでモデルコミュニティ構想をつくったという経過があります。そのモデルコミュニティの指定を受けた最中に市長が交替されました。そこで、やはり計画的な行政運営していこうという中で第一次総計をつくっていきます。その中でモデルコミュニティに指定された経過を踏まえながら岸和田のまちづくりをどうしていこうというときに、地区市民協議会構想が出てきました。たぶん、これは武蔵野さんとか、三鷹さんという先行した自治体を研究検討しながら構想を練り上げたと思います。


■地区市民協議会の30年


 庁内では岸和田コミュニティ研究会を昭和53年に設置し、議論を重ねた結果、第一次総計の基本計画に位置づけられることとなりました。これは具体的には、小学校区を第一次生活圏として、そこに地区市民協議会をつくっていこうということで、小学校区を合わせた1中学校区が二次生活圏、2つの中学校区を合わせて三次生活圏、そしてこの三次生活圏ごとの6つの地域に市民センターをつくっていこう構想が考えられました。地区市民協議会は住民主体でつくっていただこうということで、行政は働きかけはするけども、自然体でやっていこうということでした。岸和田では街中と山村というのはかなりの違いがあり約20年間かかりましたが、いまでは全市に地区市民協議会がそれぞれの形で24の市民協ができております。それぞれの活動の中身は千差万別の状況です。

 地区市民協議会をベースにしながら、全体計画とともに、6つの三次生活圏域のまちづくりをも描こうと、都市計画マスタープランを策定しようということでしたが、庁内でもたいへんでした。

 都市計画課がいきます。いろいろ請け負ってきます。他の部局はおこりはります。あんたとこ勝手に行ってなんでそんなことを請け負ってくるねん、ということですが、その当時の都市計画課の職員の方は非常にがんばられました。

 平成7年9月を皮切りに地区懇談会、地域懇談会、市民説明会、タウンウオッチング、座談会、関係団体協議、公聴会、あらゆる市民参加の手法は駆使し行っております。中でも地区懇談会というのは2年半の間に、地区市民協議会の方々が主になっていただいて、お膳立てをしていただきながら、2年間の間に、各地区5回、計101回で延べ3186人の方がその中に参加をされました。市民参加というレベルにおいては非常に高い評価を得ております。それらの営みを体感されて、地域の担い手にという方々もあらわれてきています。


■まち・ざいってなに?


 平成13年7月「市民とともに考える」まちづくり・ざいせい岸和田委員会が立ち上げられます。財政健全化を平成12年当時、15年に財政再建団体に陥るということで、財政健全化3ヵ年アクションプランという財政健全化方策が平成13年2月につくられたわけです。そこには、推計上示された収支額の補てんだけに止まらず、まちづくりシステムの再構築をはかっていくということが書き込まれていたわけです。その中の一つで参加から協働へ、ワークショップ方式でやりましょう、要求・要望型は何も悪いことではないけども、研究・提案型でいきましょうということで、まちづくり・ざいせい岸和田委員かの設置がうたわれていました。公募した市民が90人ぐらい来られて、そこへ職員とか院生の方で100人ぐらいで福祉、教育・文化、環境、まちづくりという4つの部会で約3年間やっていただきました。月に2〜3回お集まりいただいた。立ち上げに際し市長から「謝礼はどうする」と問われましたが報酬はなしです。なんでかと申し上げますと、市民からよく怒られたのです。「予算がないから会議が開けない」と言われたと。市民は委員報酬のようなことを欲しているわけではないわけで、なかったら何回でも開けます。そういうことでなしということになりました。市民の方はしょっちゅうお集まりになって、3年間かかって結局まちづくりと財政は表裏一体、まちづくりを語るだけなら気持ちがいい、財政にしばられていたらどうしようもない、市民的にどうするねんということで、行政は情報共有ということを通して、行政文化そのものを変えよう、情報公開請求をされて出すということではなくて、情報は請求をされなくても出していくようにしようよ。そこからしかスタートできない、ということではじめました。

 平成16年4月の初めには市長に報告をしていただき、市民にも報告しようということで150人ほど市民がお集まりいただいた報告会をしていただきました。今後は、それをわれわれが行政計画等々にどう採り入れていくかということが課題として残っています。


■共治って、耳慣れないことば


 まちづくり・ざいせい岸和田委員会で進め方の基本的なスタンスなんですけど。共治という耳慣れないことばですが、ある時期まで参加というのはピラミットの中で行政が頂点に立って、市民のみなさんにご意見を伺いたいとか、お越し頂きたいとか、ここをやって頂きたいとかいうのは、あくまでも行政がということです。共に治めましょうよ(共治)というのは、目標に向かってごいっしょに「Let’s with」の関係で行きましょう、ということですから、まちづくりでもどないすんねん、どこをめざすねん、なにを計画するねん、それはご自由にということで、3年ぐらいいりますよね、1年では無理です。半年責め立てられて、1年ぐらいで1つの形になって、2年目ぐらいでいろいろのチームに問いかけてというような作業がありました。


■自治基本条例の制定


 市民協議会など、いろんな営みをしてきた中で、第三次総計の策定では加茂先生が中心になってやっていただいたのですが、普通、総計では何をやるかという目標設定いたしますが、今回の特徴として、それに加えてどんなふうにやろう、どんなふうにやっていこう、どんな仕組みでやっていこう、ということが大きく書きこまれたわけです。

 行政システムを改革しましょうといったときに、実践を支えるシステムをつくるということと、一方ではわれわれがシステムを機能させる、稼働させるような実践活動を市民に働きかけ、それがうまく相まってやっていかなければ、意味をなさないと考えるわけです。

 行政運営の改革にわれわれは取り組まないといけませんし、市民活動もタテ割りではなく、横でつながる。「役所は縦割りや」と言っている市民も結構縦で割れているということもありますので、市民間で横につながる、そのへんのお手伝いもしていく。行政と市民活動との関係の再構築をやっていこうと考えています。市民協の活動で培われた、いままでの流れがあり、それらをふまえて、自治基本条例をつくっていこうと、平成13年の市長選挙の中でも明らかにされていくわけですが、第三次総計に掲げられた市民自治都市の実現というものを、何をテコに、何をよりどころとしてやっていくのか、といったときに、個別の市民参加とか、いろんな条例をつくりあげながら根幹となる条例をつくるというやり方もあるでしょうが、岸和田市は自治基本条例という根幹となる条例をつくりあげることから始めようということになったわけです。これも市民が主体でつくっていただく。学識研究者の方とか、議会、他の市民、行政とかは、逆パブリックコメント、通常は行政が案を出してパブリックコメントをかけますが、市民が案をつくって行政とかに問うて、逆パブリックコメントでつくりあげて、去年12月に市議会で可決されました。8月1日施行を目指して去年の11月頃から、関連条例というか、審議会の公募・公開、パブリックコメントだけではなくて公聴会等々を含めた意見聴取、住民投票、外部監査、これら5条例の関連条例の準備を始めまして6月議会に上程する予定です。ある部長さんいわく。笑いながらですが「だんだん我々は丸裸にされるなぁ。君らはどれだけ手間ひまかけた、しんどい作業を伴うものをつくりあげたら気がすむねん」と会議を終わってから小声でおっしゃる。ここまで行かないと市民の信頼というのは勝ち取れない。


■今後の課題


 人づくりですが、分権的協働型職員、そのような職員が増えていかなければいくら協働といっても覚悟のない協働のまねごととなってしまう。地域担当制というのも、その先にはありますが、まずそこからはじめていく。たとえばコレステロールでも善玉と悪玉がありますが、協働も実は善玉と悪玉があって、これがすべて良い、これがすべて悪いんではなくて、住民が視野に入っているかどうか、住民自治をどう高めていけるのかどうかということから考えることなしに、単に行政の経営のみの視点というのは私はいかがなものかなぁと思っています。

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-2005.5.14.-
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