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機関紙-自治体のなかま-

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記念講演 新自由主義と自治体構造改革の現段階 [2004.12.13]

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記念講演


〜新自由主義と自治体構造改革の現段階〜

中西 新太郎(横浜市立大学教授)

どうも土曜日の午後、ご苦労様です。いまご紹介いただきました中西と申します。私は横浜市立大学国際文化学部に勤めておりますが、来年4月から国際総合科学部というさらにわけのわからない学部となり独立行政法人に移行します。私たち教員は横浜市の公務員から非公務員に来年4月から移ります。要するに自治体構造改革の最先端のプロセスをいま身をもって経験しているところです。私自身教員組合の委員長をしており、忙しさに追われている状態です。さてその新自由主義と言われる政策の中で、なかでも自治体を根本から変えてゆこうとする政策がどういう特徴と内容をもっているのか。普通、「自治体構造改革」などと言われると、住民の方たちからみれば、お役所の組織が変わると受け取られがちですが、それだけではありません。自治体組織を変えることを通じて、地域や住民の生活の形をも根本から変えていく性格をもっている――自治体構造改革のそうした特徴をお話ししたいと思います。そして、この構造改革政策に対して具体的にどういう場面で、どういうふうに私達が向き合い、対抗していくのか、運動の面からも私が考えていることをいくつかお話しをしたいと思っています。

はじめに、自治体構造改革、またいま、「三位一体改革」が叫ばれ報道もされていますが、そもそも自治体を再編しようとする政策がどんなねらいをもっているのか、そして、自治体構造改革の現段階はどういう特徴があるのか、こういったことをごく簡単にお話し、その上で自治体組織を変える構造改革がどういう発想にもとづいているか考えたいと思います。端的にいいますと、たとえば大阪府、大阪市という自治体を1つの企業のように考え直して仕事の中身も、それから職員の組織も組み直していく、こういう性格をもっています、そして自治体組織の再編と同時にさまざまな民営化をすすめていく。この結果、自治体の仕事、事業の中身を自治体職員だけが行うのではなくなる。現在、急激に進んでいる事例として、保育園を株式会社が経営したり、学校を株式会社が経営するという状況が生まれている。東京リーガルマインドという法律関係予備校が大学を経営する動きが出ています。いずれ小・中学校もそういうふうになっていくと思います。そうした民営化は株式会社が請け負うだけではなくて、さまざまな団体や組織が今まで自治体がやっている仕事を請け負ったり、委託をされていく。そういう変化を一括して民営化というふうによびますが、民営化されることによっていったい自治体の仕事はどういうふうに変わっていくのか。またそのことがその地域に住んでいる住民の人たちにどんな具体的な影響を与えて、どんな問題を引き起こすのか。こういうことを中心にみていきたいと思います。


1 新自由主義政治の現段階と自治体構造改革


 現在、国会の中では改憲勢力がすでに3分の2を超えている状態です。したがってある一致点をつくることができれば9条を中心に憲法全体を変えていくための作業は国会の中では可能な状態になっているわけです。日本の国全体の政治のしくみを根本的に組み替えていく。そういう動きが片方で進んでいるということはもうご承知の通りです。そういう国の形を変えていくことと結びついて、自治体というものがどういうふうに変えられようとしているのか。

自治体の構造改革をめぐる最近のいちばん大きな方針としては今年の6月に経済財政諮問会議が、いわゆる骨太方針第4弾として、経済財政構造改革の現段階での課題のまとめをしています。
この骨太方針に基づく構造改革の一段の推進により、日本の社会全体を改造していく。こういう上からの「改革」が非常に急激に進んでいる、というのが現段階です。急激という意味は、それに反対したり、それはちょっとおかしいじゃないかと考え直したり、運動する人たちの反対が追いつかない速度でそうした「改革」が行われているということです。

 たとえば指定管理者制度で、これは民営化の1つです。この指定管理者制度の導入が法律上決まったのは2003年6月の国会です。ところが構造改革の動向に関心がある研究者を含め、指定管理者制度を重要な変化と受けとめ、これが入ったらどうなるかを分析し、注意を喚起したかというと残念ながら非常に力は弱かった。よく分からないうちに法律を変えられ指定管理者制度が入ってきた。それからたった1年経った現在、その指定管理者制度によって、いままで公の施設を運営することができなかった民間の株式会社を含め、さまざまな団体が請け負って運営する仕組みが急激に広まっています。東京、神奈川がいちばん急激で、東京都ではほとんどの社会教育施設は指定管理者制度ないしは委託方式で、現在直営のものはなくなったといわれる状態です。たとえば夢の島にある社会体育施設では、今年4月頃から指定管理者制度を使って大林組が建物の管理維持を請けた。ソフトで運営はする方は大林組の子会社が請け、建設会社の子会社が社会教育施設を運営していくことになっています。多摩のほうは同じような施設がありますが、そこはハードは京王電鉄でソフトはYWCAが請けたということです。YWCAは社会教育のノウハウをもっていますが、夢の島の施設運営は社会教育のノウハウももたず危惧されています。

 大都市で特別区のあるところでは、区単位のさまざまな施設ですでにそうした指定管理者制度が導入されているわけです。横浜市磯子区の施設の場合、指定管理者制度を使って運営事業者を決定したモデルケースと言われています。指定管理者制度の導入により急激に施設の運営形態が様変わりをしている。
 公立保育園が民営化される、これはたいへん問題だ、といっているうちに今度は別のところの施設の運営がかわる。あちらこちら今までと形が変わっていくという状態が、こうした構造改革のもっとも先進的な都市といわれる横浜市の現実です。

 自治体構造改革の焦点は農村部ではなく、大都市部が中心で一番急激に進んでいます。今まで農村部と都市部を比べてみると、農村部は政治的には保守的な地盤であり、さまざまな問題がそこで生じてくる。都市部はそれに対して進歩的・革新的な運動に支えられた制度があると言われてきました。たとえば学童保育であるとか、住民運動の中でつくられてきたそういう制度がつくられ守れてきたと言われてきました。ところがいま進んでいるのはそうした大都市部から、いろいろな形で運動が積み重ねられて、その力によっていろんな制度が出てきた、こういうところが真っ先に崩されているという、大都市部から構造改革が進んでいる事態がある。これには理由があります。

1つは自治体を変えていく、新しい自治体にしていくという目標を掲げた自治体首長とが、大都市部に次々と出現してきたことです。

たとえば、横浜市の中田市長は、30代そこそこのきわめて若い市長で、現在でも人気があります。2002年4月に就任してその6月には、「大学、保育園、計画ができあがっていた港湾病院、それと交通、この4つを全部変える」という施政方針を記者団にまず発言しています。そして1年後、同じ松下政経塾出身の後輩の前田正子氏を副市長に迎えています。前田氏は保育問題の専門家で岩波のブックレット(『少子化時代の保育園』1999年)などで保育園問題を扱っています。その方が先頭になって保育園の民営化を実現しています。

東京都は国家主義的主張をむき出しにする知事をいただく点でやや特殊ですが、東京の中の杉並区では、やはり松下政経塾出身の区長が新自由主義的政策を掲げています。神奈川県でつい最近誕生した松沢知事も民主党から県知事に鞍替えし、同じように先頭を切って、構造改革を掲げているわけです。都市部の自治体首長が自分の政治的野心もこめて、「構造改革をやっていくのだ、今までの考え方ではダメだ」と言う。同時に「今までの市長や知事ができないことをやってくれる、なかなかいいじゃないか」というふうにそうした政策を支持する層が、横浜市や東京都では確実に存在し、しかも今までよりも増えているという現実があります。端的に言いますと、都市の比較的富裕な所得の高い層は、新しい構造改革の政策を強く支えていく、という特徴をもっています。東京都の中で、年収1500万円を超える所得層は全国平均と比べるとはるかに高く、横浜でも高所得層の集中する地域での市長支持は高いことがわかっています。
明らかに都市部の裕福な所得階層の要求からみて、構造改革を当然と感じ支持もし推進もする。そういう支持基盤があることは無視ができない。この結果、大都市部から構造改革推進の動きが強まっているということだと思います。

構造改革は90年代からずっと出てきていますが、現段階の特徴として構造改革政策はさまざまな分野で非常に急激に進んでしまっています。もうすでにすすんでいるのだ、という点を認識しておかなくてはいけません。たとえば学校教育をみたときに、40代、50代の方たちがイメージしている中学校や高校、あるいは大学も含めて、それらと現在の学校教育の姿とは相当かけ離れています。それくらいに構造改革の一環としての教育改革がなし崩しに進んでいます。これがほんとうに学校なのか、学校でこんなことをやっているのか、そういう状態が進んでいるわけです。東京品川区でやられているような学校選択はまだ形式的な面がありますが、たとえば、大学の授業に出ている高校生は全国もうすでにたくさんいるわけです。高・大連携というプログラムで、将来自分の大学に来てくれそうな優秀な高校生は早く大学の授業に出し、そうして自分のところで囲い込んで、入学した場合に単位を与える。これはもうどこの大学でもやっていることです。大学間の競争の中でそういうことが出てくるわけですが、それを可能にする枠組み、政策がなければ学校教育はそんなに簡単に変わることはない。学校教育1つとってみても、今まで私達が常識として考えていた教育の形が大きく変化をしている。その結果、さまざまな矛盾、あるいは困難が構造改革政策の結果、もうすでに出現しているのです。

その矛盾の1つを挙げると、10代、20代の若い人たちの働き方がすっかり変わっていることです。15才から24才までの人たちの失業率は10%を超えています。10人に1人は常時失業している。20代半ばの女性の場合、正規で働いている人に比べて、フリーター、アルバイトなどという非正規で働いている人たちが4人に1人という割合です。つまり、親の世代が普通の働き方と考えていた働き方は現在の10代、20代の人にとっては普通ではない。これは構造改革政策の中の労働市場を組み替える政策の結果、生まれてきたものです。そして、そこある困難や矛盾を閉じこめて、みえないようにしている、つまり、構造改革政策がもたらす困難を封じこめ隠蔽する政策がやはり構造改革の名で行われていることもみておくべきだと思います。
 そういうふうに急激な勢いで構造改革を進め、なおかつ最終的に自治体の構造を根本的に組み替えてゆくことが目指されています。
 

2.自治体再編はどのような政策的意味と射程をもっているか


 自治体というのは通常、その地域にそくして地域住民の要求、生活から出てくる要求をふまえながら、それらの要求を憲法の原理原則に則って実現する組織、地域住民の生活を支えるために公的な役割を果たす組織だと考えられています。しかし、その自治体がいま、市町村合併促進法等の法律を使っての政府施策により、合併の嵐にさらされています。そういうなか、大阪のいくつかの衛生都市では、合併「NO」という住民意思が示された。それは住民運動の力、その地域のもっている力だと思いますが、全国的にみますと3000ある基礎自治体を市町村合併促進法により、3分の1に縮めることが既定の方針になっています。つまり2000減らすわけですが、新潟の中越地震では前倒しで合併しようなどという事態も進んでいます。人口の少ない過疎地を中心にして、小さな自治体はすべて他の自治体と事実上強制的に合併させようというのです。

 そういうふうに基礎自治体の規模を少し大きくしていくことの意味は自治体リストラと言われるものでありますが、それと同時に最近、もう1つ出てきたのが道州制で、より大きな自治体は、府県合併を行い道州制という枠で囲っていく。関東圏では道州とは言わないですが、石原都知事、神奈川県の松沢知事、横浜の中田市長、千葉県の堂本知事だけがニュアンスが違うのですが、そういった自治体首長が集まって、広域自治体のネットワーク(連合)をつくる議論をしている。そこでいろんな問題を協議していく場を常設にしたいと中田横浜市長や松沢神奈川県知事が強力に要求しています。堂本知事は「ちょっと待って」と言っていますが。

 そういう広域自治体をつくる動きが何を意味しているのか。これをはたして自治体と呼んでいいのだろうか、ということを私は問題提起しておきたい。つまり大阪府とか従来の都道府県、これを私達は自治体と考えてきました。しかしいま道州制等で構想されている広域自治体は、ほんとうに自治体という組織が期待されている役割を果たすものなのか。実はそうではなく、括弧付きの自治体というのが道州制の下で構想されているように思います。

 東京都をみるとはっきり分かるのですが、新しい産業開発、そのために必要な公共事業に優先的にお金を振り向けていく。大阪の場合には「関空の工事を絶対に外さない」と言っていますが、そういう姿勢が当たり前のこととしてある。構造改革政策の推進者が「公共事業は問題」と言ってきたのは90年代の半ばまでです。いま言っているのは、これからのグローバル競争秩序の時代で、その競争を勝ち抜いていくためには、日本国内で新しい産業構造をつくっていかないといけない。そのためには大都市部の広域自治体がそうした産業政策をもって大規模な地域開発をやっていく。大企業優先の開発は問題じゃないかと私達はさんざん言ってきましたが、旧来の地域開発がもっている問題については新自由主義構造改革派も盛んに言ってきたわけです。しかし、90年代後半からその事情ははっきり変わってきました。たとえば東京都の場合、秋葉原にIT産業の拠点地区をつくり、それを研究と結びつけていくために東京都立大学を解体して産業開発優先の大学をつくろうとしている。そういうふうに産業開発や、大規模な公共事業は具体的に推進していける大規模な投資主体として広域自治体が位置づけられる。

もう一つ、松沢神奈川県知事や横浜の中田市長、あるいは元広島県警本部長から警察官僚で初めて東京都の副知事になった竹花氏たちが言っているのは、広域で治安管理していくという話です。つまり、いろんな社会運動や紛争が起きたときにそれを抑え込んでいくようなしくみをつくる。従来の基礎自治体ではなく、広域の自治体で処理していくということも大きな目的です。

自治体を広域化する、基礎自治体の規模を増やすことの意味についてもう1つだけもうしあげておきます。たとえば、人口が数千人規模、あるいは1万人規模といった小さな自治体、過疎地域をもつ自治体ではすべて水道管を引くのは困難で、こういうところは構造改革によっていずれ切り捨てられていく地域となるわけです。そういう小さな規模の地域社会にはたとえば介護保険が施行されたからといってコムソンも来ない。「効率」が悪いので自治体の構造改革で全部切り捨てられていくことは目に見えています。切り捨てられていったときに、あそこ放っているじゃないかというふうに、小さな規模の場合はすぐにみえやすい。ところが、合併によって大きな規模の自治体が出現すると、そのように切り捨てられた状態がそのままなのに、「切り捨てられている」というその状態がみえにくくなってしまう。つまり、数千人の単位ならつかめたことが、数十万人のなかで矛盾、困難を抱えた人がいるということになり、その結果、この困難とか矛盾というのは隠されていく。

そういう意味で自治体を再編するということは、単に規模が変わるとか、それで権限関係がいろいろと変わるというだけではなくて、住民自治とのかかわりでほんとうに大きな問題であることを確認しておく必要があると思います。つまり、現在の自治体構造改革は、住民自治とは何か、住民自治を守るというのはいったいどういうことなのか、ということのかかわりで真剣に検討しなければいけない課題だと思うのです。

3 自治体組織改変の手法とその帰結


 構造改革の中でいわれているスローガンほぼ共通しています。東京都石原知事は新自由主義政策をかかげるというよりは、きわめて保守的で国家主義的な主張をかかげている。しかし、現実に推進している政策としては、強力に反対を押さえつけるそういう知事の下で、構造改革政策がいちばん急激にすすむという関係になっています。従って、東京都も含めて、自治体の組織を変えるという場合、構造改革政策がどういうコンセプト(考え方)に基づいているのかを最初にみておきたいと思います。

自治体組織と運営を変える手法として、NPM(ニューパブリックマネージメント)と言われる手法が挙げられます。これはもともとイギリス生まれでサッチャー政権時代に出てきた新しい行政組織のつくり方です。端的にいえば、公共団体の新しい経営法というふうにいえます。経営法といいましても自治体にはさまざまな仕事があるわけです。自治体の事業は公的な責任にもとづいて、その地域、自分たちが管轄をして責任をもっている人たちの地域生活を支えていく、そういう仕事のはずです。その仕事について経営上どうなのか。つまり、あたかも株式会社のように、大阪府なら大阪府という経営体、大阪市という経営体、それぞれの市の経営体……自治体をそれぞれ1つの経営体とみて、経営として成り立っているのかということを点検し、成り立つようにしていくというのがNPMの中身です。

 具体例として私自身が勤務している横浜市立大学の場合をみてみます。当然、横浜市が予算を立て大学を運営しています。ところが一昨年の1月にいきなり地元の神奈川新聞に“横浜市立大学の累積赤字は1200億円”という記事が一面トップに出ました。これを市民からみれば、「横浜市立大学に勤めているものが1200億も赤字を出した、放漫財政でとっても勝手なことをやっているじゃないか」と思ってしまう数字です。私たち職員にとっても寝耳に水でしたが、「累積赤字」と報道された1200億円のうち9割は、2つある附属病院の建設費と理学部の建設費をまかなう地方債です。毎年の運営費が「累積赤字」と言われたものの中味ではないのに、大学の赤字という格好で出される。横浜市の事業としてやっていて、建設費は市議会で予算案が通って、「附属病院を建設しましょう」となり執行されたものです。それが大学にたいして、「あなたたちこんなに赤字を出しているのですよ」というふうな形で新聞報道されました。これは保育園でも、どこでもおそらく同じです。ともかく自治体の中でやっている1つ1つの事業をそれぞれ単体で扱う。それは市の予算として組んで必要だからやっている、という話はどこかへすっ飛び、「どれだけお金を使っているのか、これだけの赤字を出しているじゃないか」という宣伝が行われる。そして「そんな赤字がでないような組織に組み替えなさい。組み替えないならばもう我慢ができないので、なくなってしまったほうがいい」というのが市長の脅しであったわけです。

 NPMの手法ではそういうふうになるわけですが、自治体がやっているさまざまな仕事すべてを1つ1つの事業として考えたときに、それらが単体で「きちっと」経営(運営)されているかどうか、経営の立場から全部考え直して評価をし直す。評価するためのさまざまな手法というのも導入されています。三重県の北川知事の下で90年前後に事業評価が導入された。そして現在では、各自治体でバランスシートといわれるような行政評価の方式が導入されている。さまざまなセクションでバランスシートを要求されて、どうやって経営しているのか、マネージメントちゃんとしているのか、追求され、だめならどう「改革」するのか迫られる。

 政府の経済財政諮問会議が6月に出したいわゆる骨太方針第4弾は、そうした経営体の中にいるという意識をはっきりさせるために、「市場化テスト」を行うことを方針として打ち出しています。市場化テストもイギリス生まれで、90年代に労働党のブレア政権により、サッチャー政権が行った行政改革手法を改良した方式がとられ、それを輸入したものです。たとえば図書館であれば、図書館業務に関して官も民も一緒になって必ず競争入札させるというやり方です。すべての仕事に「予算が○○減りますがサービスはおとしません」という格好で競争入札をさせていくわけです。それでどっちが有利なのか、いいのか、ということを判断して入札に勝ったほうが業務を請け負う。ということは今まで図書館の業務は市の仕事ではなくなり、そこで働いていた職員は市の職員ではなくなる。そして請け負った人たちが図書館の業務をやることになる。これが市場化テスト=競争入札方式です。「官」も入札に加わるといっても、これまで公務として行ってきた仕事を民間企業と同じに入札できそうにないのはあきらかですから、結局、民営化をとことんまですすめる手段になることはまちがいありません。

 自治体のすべての事業について必ずこの市場化テストを行うように、ということを方針として打ち出しています。再来年にはこれを法律にするということも言われています。市場化テスト新法という法律ができますと、「私のところの仕事は競争入札できる仕事ではない」とにいくらがんばってみても、そのテストは受けなければいけない。つまり、競争入札でやらなければいけない。否応なしに自分たちも経営方式をつくり、そして競争しなければいけない。自治体の仕事についてすべてやる。

自治体の仕事の範囲とは、つまり役所の窓口業務であろうが、会計業務であろうが、原理的に言えばすべてです。ということは、公務員なんか1人もいなくなってもかまわないということになる。それをはっきりやろうとした例が地方自治特区を掲げた埼玉県の志木市です。志木市は自治体の職員自体を10分の1以下にする。9割以上を自治体の職員ではない人にしてしまうという、窓口から全部変える組織改変事業を特区として申請しています。さすがにこれは今のところは拒絶をされています。しかし、考え方としては市場化テストを経ればそういう問題が出てくることになる。

 いま、とにかく病院がたいへんだ、保育園がたいへんだ、そういうふうに言っていますが、一括してすべて自治体の仕事と言われているものは全部組み替える、ということが現在進んでいます。

自治体の仕事はいったいどういうふうになるのか。たとえば大学もそうですが、何も私が公務員である必要はなくて、民間からもっと優秀な人間とか、安くやってくれる人を「調達」すればいいじゃないか、と考えそれを追求してゆけ、ということです。いま語学教育では現実にそういう脅しをかけられています。語学学校の人に来てもらう、あるいは語学学校に請負に出したらどうだ、といった「改革策」が公然と言われている。大学にもう英語の教員はいらない。語学学校はたくさんあり、そこに請け負わせる、もしくは学生は語学学校に行けばいいとすら言われている。そうしたかたちですべて自治体の仕事というのを外注にだしていこうというのです。

じゃいったい自治体の職員という存在はなにか、自治体業務とはなにか。これについて自治体構造改革や新自由主義政策をかかげている研究者が「自治体というのは今まで地域住民の要求に応じてさまざまなサービスを供給(提供)してきた。これからの自治体はサービスを提供する側から、サービスを買う側に転換しなければいけない」という非常に興味深い発言をしています。自治体がサービスを買うというのはどういうことなのか。たとえば横浜市には「いのちの電話」というホットラインがあります。これは横浜市の職員がやっているのではなく、ある団体に委託しています。そういう委託をやっている業務は現在の自治体の中でもたくさんあります。さまざまな民営化を通じてサービスを直接に提供しているのはそういう人たちです。どういうサービスがあり、どういう会社、あるいはどういう団体からそのサービスをもってくればいいのか。これを考えるのが自治体職員の仕事ということになるわけです。ですから自治体というのはサービスを提供する組織からサービスを買う組織に転換するのだというのが上の発言の意味です。もっとありていに言うなら、サービス商品を安く買いたたいて自治体が損をしないように住民に仲介する。そういうマネージメントをすることが自治体職員の仕事に変わっていく、ということです。

 そうなったときに自治体で働いている人たちの仕事の評価や仕事の中身というのは変わらざるを得ません。たとえば保育園で子どもに慕われて一生懸命仕事をして、親からも信頼が厚い保育士さんよりも、もっと安上がりで効率的な保育に変える、たとえばベネッセなどのようなところを含め、安く保育士を雇って活動している保育団体にうまく委託する、そうやって自治体としての「経営」をうまく成り立たせていく職員の方が公務員として評価が当然高くなります。評価の基準がそのように変わってしまうと、「私がこんなに一生懸命仕事しているのに…」という努力がもう通じなくなる。

いま全国の大学でかなりそういう問題が出ています。私のところもたぶんだんだんそういうふうになっていくと思います。たとえば学生と何時間つきあってもその結果、「成果」が上がらないようではどうしょうもない。なるべく優秀な学生を集めて、毎年大学院に何人送ったか、こういうことがポイントで評価される。もうすでにいくつかの大学はポイントで評価しています。ゼミで合宿をやると何ポイント…などと笑える事態がおそらく現実に進行してゆくことになるでしょう。

そうなれば当然考え方として、大学院に行けるような優秀な学生だけを私はたくさんとりたい。うまく学生を集めて自分の成績をあげる。そうしないと研究費がもらえない。評価のモノサシによって研究費がコントロールされるわけです。そういう関係におかれて、たとえ嫌々ながらでも自治体職員が構造改革の中でマネージメントをやるという立場におかれるよう変わってしまう。

地域住民のために役立つ仕事をしていこう。ほんとうに大切な責任を果たしていこうと考えても、その評価の基準が変わるために、そうした想いをもって仕事を続けることが非常に困難になるという結果を導いていく。

堺市ではバリュアブルスタッフという任期付き6カ月の短期職員制度に組み替えていくという話を聞きました。この任期付き6カ月という雇用期間は現在、昨秋の労基法改定の結果3年にまで延ばせるようになっています。窓口の職員に任期がついていても、外からみるとみんな同じです。いまの銀行の窓口と同じで、いま銀行の窓口には銀行の正規職員はいないといっていいくらいです、ほぼすべて派遣で、派遣できた人たちが現実に自治体の仕事を支えることになる。これはマイナーな例かもしれませんが、現状でもプラネタリウムを運営している科学館などで実際の仕事を支えているのは、フルタイムの管理職ではなく、パートの主婦の方や、臨時職員です。そういう人たちがノウハウを学び、そして立派にプラネタリウムや科学館を運営し企画もしている実態があります。ということは自治体の仕事、自治体労働者と言われている範囲は、その自治体に直接雇われて正規の職員として位置づけられている人だけではなく、もっと広がっていくということです。そして現在、もうすでに広がっているわけです。

そのように新しく自治体の仕事を担う人たちにまで及ぶ視野をもつことが、自治体構造改革と対峙するうえでは絶対に必要になります。たとえば東京多摩地域のある市のプール指導員の例をお話しします。フルタイムの自治体職員がプール指導員ということはないでしょう。その市では派遣会社に業務を請け負わせているのですが、派遣されある青年がプール指導員として勤め、はじめての給料をもらった。ところが給料が出されている会社の名前は自分が面接を受けた派遣会社とは全然関係ない、みとことも聞いたことない会社の名前が書かれてあった。不審に思って「いったい、この会社なんなんですか?」と聞いても自治体職員の人は当然分からない。二重派遣、三重派遣という状況でその青年は市営プールの指導員として働いているのです。市の仕事をそのようなかたちで行っている実態があるのですから、そこに分析が運動がとどくようでなければ、構造改革政策に対抗することはできないのです。

 そういうふうに自治体を経営体として考えてマネージメントしていくということは、たんに役所や自治体組織が変わるということではなく、そうした組織のあり方を変えることで自治体がやっていく仕事・活動の性質を根本的に変えていく意味をもっているわけです。

4 民営化は自治体のあり方をどう変質させるのか?


 それではマネージメントで買ったサービスが、いったいどういうかたちで地域の人たちに供給(提供)されていくのか。これがいわゆる民営化とかかわる領域になります。

民営化と一口に言いますが、これもあまりに変化が急激であり、すべての状態をつかみきることが不可能なぐらいたくさんの民営化の形があります。私が勤めています横浜市立大学は独立行政法人ですが、これは民営化というよりもうちょっと公的な性格の強いもので、民営化しきれないものを独立行政法人という形にする。

 PFIというのは、民間資金を導入し、一定期間、施設運営だとか業務を企業なり団体が請け負ってゆく方式です。

 指定管理者制度は公の公共施設の管理運営を営利企業までもふくめたさまざまな団体が行ってゆける制度です。今まで公共施設を株式会社が委託されたからといって運営することは法律上不可能だったのです。そういう法律を全部はずしていくわけです。外すことによって指定管理者制度というものを導入する。たとえばどんな団体でも公共体育館を管理運営することができる。鉄道やバスの場合は、道路運送法の中身をいくつか変えなければ行けません。水道事業の場合には水道法というのが改正をされて、上水道の技術管理業務について委託ができるようになっています。水道法の改正なんて、いくら住民生活に密接であっても一般の人たちはあまり意識することはないと思います。しかし、あらゆる分野で次々と法律が変えられていって、そしてそうしたさまざまな形態の民営化というのが行われているということになります。

日本ではまだないのですが、BOT、BOOという、所有権をそもそも民間に移してしまうタイプもあります。たとえばイギリスのブリティッシュテレコムという電信会社とか、ブリティッシュガスとかというガス会社、これは国営だったものをそういうふうに民営化する。職員が当然反対しますので、反対するときに「残った職員には株を分けてあげる」というようなことで、おそらく9割以上の従業員はその株をもっている。欧米では反対を抑えるためによくやられる手です。

 そういうふうにしてマーケットにのっかるようなそういう事業の形に自治体業務の転換をしていく。注意しなければいけないのは、あとでももうし上げますが、株式会社が全部それを請け負うという意味ではありません。さまざまな法人もふくめ、公務員による業務ではないという意味での「民」が請け負うかたちが民営化です。

 ところで、自治体が行っていた業務を営利企業が引き受けようとした場合、業務を引き受けるための条件が当然あります。つまり、その業務が、企業からみて引き受けようと思えるものかどうか、「市場にのるかどうか」が重要となります。

 市場にのるということはどういうことか。私達は保育、水道、病院などでの活動について考えるとき、生活上とのかかわりで必要なところを意識しますが、請け負う側からみた場合に、いま自治体がやっている仕事がどういうふうにみえているのかを想像していただきたい。

 たとえば下水道関係で言いますと、下水道事業をもし全部市場が請け負った場合、どのくらいの市場規模になるかというと4兆円と言われています。PFIを導入するためのマニュアルが書かれている本の中にそういう数値が載っています。市場規模としてみたとき、1兆円あれば大きなマーケットです。たとえばアニメは日本の優秀な輸出産業だと言われていますが、1兆円市場と言われている。ところが下水道は4兆円のマーケット規模です。病院を含めた医療は、4兆2000億円と言われています。水道が3兆円、介護保険関係が同じぐらい。 

 つまり、数兆円のそういうマーケットがあって、これを全部民営化してうまくビジネスにできたらそれに応じた収益がみこめるとみるわけです。もっとも下水道は実はそんなにうまくいかない。建設関係のハードに4分の3、75%とってしまうので、建設費が高いとなかなか株式会社は参入しない。建設をしなければいけない場合、そのための金利負担が大きいのでうまみが少ないということらしいのですが。

ところが医療のほうは逆にハードは10分の1です。ほとんどがソフトです。ソフトというのは人とノウハウが中心です。人の部分が大きければ大きいほどうまみが大きいということになります。ですからなんとしても病院を株式会社が運営できるようするために、財界が繰り返し要求している。医療はマーケットとしてみたときには間違いなく、おいしい大変な市場が広がっているからです。市場としてつかまえ、市場として自分たちが経営したらこうできますということで、今まで自治体が独占していた事業を、私達にも経営させろというのが企業側からみたこの民営化の要求です。そんなことをいっても、病院や学校の教育というのは、企業が儲けのためにやる事業ではない。こうふうに考えるのが、今まで常識でした。新自由主義政策は逆に、「儲けるために一生懸命やるほどサービスが向上する しくみができる。そういう競争を省いて、独占状態で自治体・政府だけがやっている、こういう事業自体がけしからん」という考え方で自治体構造改革をすすめようとしています。

営利企業が自治体業務を請け負う場合には収益が見込める事業として成り立たないとダメなわけです。ですから公営事業、たとえば公営バス、市営バスといった事業を考えたときに、全部赤字路線であれば企業が引き受けるはずがない。横浜市の交通局が、大リストラ案を出して、その中で市営バスの民営化、路線の譲り渡し部分を提案していますが、つい最近の神奈川新聞では、「民営化する予定が赤字路線については会社のほうから断れ、なんとか採算が成り立つようなプランの練り直しをさせられている」という記事が載っていました。これはどういうことかというと、公共自治体がやっているおいしい事業だけをまずビジネスに変えていくというかたちでの自治体事業の選別が進むことを意味しています。そうすると「おいしくない」ところだけが取り残される、という問題が起こってきます。

 世界的な規模でこうした公共事業の民営化を引き受ける企業が存在していますが、これは多国籍企業です。たとえば、サーコというイギリス企業はまずイギリスで刑務所などの民営化を請け負って業績を急成長させた。刑務所を民営化してどうして儲かるのか不思議ですが、年々急成長しています。いま全世界で3万4000人の従業員と、それから2600億円の年間の売上をもっている企業です。

大阪は夏になると水道の水がおいしくないというのでペットボトルの飲料水を飲まれる方も多いでしょう。フランスのヴィベンディやスエズという水企業は各国の公営・公共水道事業の民営化を一手に引き受けている多国籍企業です。ヴィベンディは全世界で1億1000万人に給水人口をもっている。1億1000万人というのは日本の人口を超えるわけですから、「それだけのノウハウをもっている私達には簡単に民営化ができます」と宣伝して世界中の水道事業への参入をねらっている。アルゼンチンでの水道事業はうまくいっていないようですが、韓国のインチョンとか、世界中で水道事業を展開している。やがては自分たちが全世界の人たちに水を供給する企業になるという目標をもち、ヴィベンディやスエズは競争しているのです。こういう企業からみれば、その水道事業を民間企業ができないという規制を設けていることは迷惑です。規制をどうやって外すか当然考えるし要求もすることになります。

たとえばベネッセや東京リーガルマインドもそうですが、保育園関係ではさまざまな駅前保育を請け負っている株式会社がもうすでに存在しています。ノウハウもあるし、規模も大きい、効率的だし、サービスは決して落ちないという格好で宣伝がされています。保育園はなかなかうまくいかないと思いますが入っていくことは間違いない。保育園の駅前保育型のものとして、アメリカではキンダーガルテンという大企業があります。私はデトロイトでそのショールームをみましたが、あそこには自分の子どもは入れたくないと思いました。マクドナルドと同じで、同じサービスと質で全国どこでも保育を保障します」という方針でやっている大保育企業です。そういう大きなところに任せれば安全・安心できるのか。たとえば保育所で働いている保育士さんの仕事の質、水準と比べてほんとうに効率的になって質が保つことができるのか。これを確認した例はあまりないと思います。

公立の保育所について「これだけの問題がある。だからこういうふうに変えたい」という分析が行われ、どこがどう問題なのか検討され議論もされて方針が考えられているかというと、決してそうではありません。「より効率的にサービスを提供するためには民間のほうがいい」という結論があらかじめ先につくられ、その結論に合わせて民営化を導入している。保育園に関しては財政省関係の研究会が収支構造を分析し、「いまは公立保育所の保育料があまりにも安すぎる。これをなんとかしないと民間が参入できない。」というような逆転した主張を展開している。これは、「民間が保育園を経営できるようなかたちにするため公的保育所の保育料を引き上げろ」という議論で、民営化という結論が先にあって公立をつぶすということです。

 現実に指定管理者制度が入る前ですが、三鷹市でベネッセが請けて、公設民営の保育園が運営しているときに、保育園の給与水準はざっと3分の2から半減している試算が出ています。非常勤、臨時職員、あるいは派遣の職員の職場が多い介護・ケア領域の賃金水準について厚生労働省の調査では、そうした職場の正職員の平均年収は240万、臨時、パートはそれのざっと半分です。これはフリーターで働くときの平均年収はだいたい110万から130万ですので、これと同じ水準です。フルタイムで働く派遣労働者はやはり200万から250万といった水準です。みんな要するに最終的にはそのくらいのところで働いていくという状態で、働く人たちの賃金水準をそこまで切り下げることによって、新自由主義政策がねらう社会の新しい枠組みが出てくることがよく分かります。

 さてそこで、営利企業が食指を動かさない「不採算領域」の事業はどうするのか。たとえば赤字路線であると言われている交通、しかしそこに住んでいる人にとってはとても大切なもので、そういう事業はやはり自治体がやらなければダメだろう、ということになるわけです。ところが自治体事業が採算に合う合わないという基準で選別されるようになると、言ってみれば経営体としてみたときに黒字の事業は全部民間がもっていく。赤字のところが残っていき、自治体は経営体としてみろと言われているのに、赤字のままじゃないか、ということになる。

 そこで、PPP(パブリック・プライベイト・パートナーシップ)と言われている、公と民が共同して自治体の公共の仕事をやってきましょう、という事業再編の手法が出現してくることになります。たとえば、志木市の例が典型ですが、アメリカなどでは警察の中にもボランティアが入っています。民間人が入って警察無線を受けて配信する。ボランティアが週に何回くるという具合に「民」が組みこまれている。ボランティアとかNPO団体、多様な背景の人たちが入り組んで「公」の仕事をしている。日本でもこれを大々的に入れていかないといけないという方針が、新自由主義政策の観点で先進的な自治体ほど大々的に唱道されています。いろんなNPOがありますけども、福祉や教育関係の中ではNPOに「予算の枠内でこういう仕事をしなさい」と委託をする。さきほどの「いのちの電話」もそうです。そういうふうにすれば自治体が直接その事業をやるよりも、ずっと安上がりですむ。そういう意味でいうとサービスの中身もノウハウをもっていればいいだろうということになるわけです。

ですから新自由主義的な自治体構造改革政策にとってはNPOや各種の団体というのはなくてはならない組織だということです。つまりNPOをどうやって利用するかということを一生懸命に考えるということであるわけです。

 経済財政諮問会議の有識者委員である本間正明氏は、こういう構造改革政策を進めていくための中心ブレーンです。そして日本NPO学会を立ち上げた発起人の1人でもあります。経済産業省はもうすでに数年前からNPOをいかに育成し、政府の事業とNPOの関係をどうやってつくるか検討する研究会をずっと開いています。NPOや公益法人、各種の団体の資源を利用することにより、今まで自治体が使っていた予算よりもずっと安い経費で事業を行うことができます。これがミソ、そこを利用することを考えて、それで経営が成り立つ仕方を考えなさいということを自治体の場合は要求される。端的に言いますと、私が大学でこういう話をしているとして、同じような話を「ただでやりますよ」という人がいたら、それはもうそちらに頼むということになる。そういう組織をうまくつくってしまえば、今まで使っていた予算よりも安上がりがすむ。1つの学校単位で経営として考えて安く、あるいはボランティアで使えるものには協力してもらう。そういうふうに考えると、相当いろんな格好で今まで採算がとれないとか、どうしても公的責任だから費用を出さないといけない事業部分を切りつめていくことができる。これは逆に言えば、NPO団体などで働く人たちは当然今までの公的事業コストより絶対下がる、そのような仕方でしか、その事業の中に組み入れられない。最初から安上がりで働くことを強いられることになります。

つまりNPOや各種の団体は公共事業を安くコストでやっていくための下支えの役割を果たす。構造改革政策の推進によって、たしかに自分たちの活動領域は広がるかもしれないが、「あなた達がやる気があるなら任せる。ほんとうにそれでやっていく覚悟があるのか」ということも迫られ、低コストでのいわば「受注」を迫られるのです。

神奈川でフリースペース、不登校や、引き込もりの青少年を10年以上自前でフリースペースをつくり、活動してきた方がいます。昨年、川崎市に「子ども夢パーク」という公設民営のフリースペースが全国で初めてできた。フリースペースで公設民営はそれまでなかった。当然、市の職員はできないので委託ということになります。誰が受けるのかということを考えたときに、「自分が受けなければ民間の企業が入ってくる。そのことを考えると自分が受けざるを得ない。ただ受けても今まで自分が得ていた収入のザッと半分になりました。」と苦笑いしていました。NPOは多かれ少なかれそういう状況におかれ、そしてNPO自身も選別されていく。今まで都市部ではとりわけ、保育運動であるとか、多様な住民運動の蓄積があり、いろんな団体が住民生活の向上をになってきました。新自由主義的な自治体改革が進行してゆくと、そういう方たちがいずれ自治体との関係で自分たちがどういう役割を果たしていくのか、ということを迫られる。逆に言いますと、大阪のような分厚い住民運動の蓄積があるところでは、その地域の中で自分たちの自治に基づく自治のあり方をつくり出していく、1つの戦場が新たに開けてくることにもなります。

5 「地域リストラ・住民リストラ」とどう闘うか


 どうにも採算がとれない事業はいったいどうなるのか、という問題が最後にそれでも残ります。竹中平蔵氏がある雑誌の座談会で「江戸時代の人たちは基本的に水は自分のところの井戸水で自立自助でやっていた。自分たちでまかっていた水が自治体で水道は供給されるというのは現代社会のことである。ちょっとさかのぼればそんなことはなかった。」という発言をしています。過疎地やへき地には水道管を長く引かないといけない。今まで水道管を引く事業責任が自治体にはありました。ところが、経営効率が問題にされると、そういう過疎・へき地に水道管を引き、不便を解消することを考える公務員はコスト計算ができない「不適格」公務員とみなされかねない。そして、生活は自立自助だという自己責任論がまかりとおると、そういう不便なところに住んでいる住民が悪い、そんなところに住んでいないで水道管が近くにあるところに住むべきという考え方が出てくる。「住民は住むところは選択できる。だから自治体も選択したらいい。住民は便利のいいところに住むという考え方をもつべき」というのが竹中平蔵氏のような新自由主義者の考え方です。こういう考え方は最終的に、「これこれの地域に住むお年寄りにこんなに手をかけるというのはたいへん」という住民選別につながってゆきます。自治体は憲法に保障された公的な権利、憲法上の権利である生存権に基づき、それを住民の生活の中で具体化するという責任のもとで。公的な事業として介護などの事業をやってきたわけです。それがいま崩されていく状況にあります。自治体構造改革をつうじて、「いい住民」(税金をたくさん払い手がかからない住民)と「悪い住民」(コストばかりかかり税収は期待できない住民)とが選別され、「悪い住民」にお金をあまりかけない、という状態に結果的になっていくということです。学校教育に関してはさきほど言ったような現実が生じています。地域生活のあらゆる分野で、住民をそのように選別する「自治体改革」がすすむのです。それを私は住民リストラと呼んでいます。

 住民自身も自治体構造改革によってリストラされ、ひどい状態におかれているが、そのことを言えない。そしてそういうひどい状態が外側からみると目にみえない。これが民営化に代表的にみられる自治体構造改革の特質だと申し上げていいかと思います。

 それでは自治体構造改革とどういうふうにたたかっていくのか、どういうふうに運動していくのかということです。そうした自治体構造改革をすすめていく上で、いま政府はローカルオプティマム(地域的に最適)ということを言っています。その地域で満足できる状態ならそれでいいでしょう、といういい方です。ニーズが多様化したので、さまざまなニーズに応じて自治体事業もその多様化したニーズに応じずる、そういう事業体にかえていきましょう、という宣伝をしている。この言葉自身にたいへんなフィクションと言いますか、ウソが潜んでいると思います。

 まず、「ニーズの多様化」ということの意味は、ニーズが多様なのだから、それぞれに応じた事業を行えばいいとして公的責任の解除を正当化していく。また、ニーズの多様化を理由にして、日本の社会の中で、またこの地域で安心して暮らせる、そういう水準とか、そういう生活の保障が絶対に必要だという考え方が曖昧にしていく。

1人1人みんなニーズが違う。たとえばいまの学校教育の考え方で、あまり勉強をしたくない子どもには週に5日間も学校に行かせる必要がない。3日でもいいじゃないか。その分でもっと勉強したい子にもっとお金をかけてなにが悪い、ということです。たとえばいま品川区で数十億円かけて新しい学校をつくるということですが、1つの学校に数十億円かけるということをじゃましていたのは、ある一部の子だけが優遇されていい条件になったではないか、という疑問だったのですが、「それは間違いだ。」ということになるわけです。そういう優秀な設備を使って、能力を伸ばしたい子をどんどん伸ばすという仕組みをじゃましていたのは、あまり勉強したくない子、勉強させる必要のない子、こういう子たちには勉強に関する資金をそんなに投下する必要がない。そこのところをはっきりさせる、住民、市民にかける公的資金を差別化して当然だ、「優秀住民」を優遇して何が悪い、ということです。これがニーズの多様化に応じて事業を考えるということの意味になります。

 そういうふうに多様化した場合、「あなたに供給するサービスにはこれだけの資金がかかっています。でもそれは全員がそうじゃないのだからその分は応益負担でやってもらいます」という条件もあわせてつくることになる。「ニーズの多様化」論によって応能負担から応益負担に住民の負担を増やすことが合理化され、正当化されるということもみておかなければいけないと思います。

 そういう住民リストラに対してどういう対抗策を考えていく必要があるのか。1つは現在の自治体構造改革というのは自治体の組織を変えるという話の中に、いまみたように住民の生活の基本的に保障されなければいけない水準を食い破っていくという、こういう「牙」を潜めています。日本の社会に住んでいる人すべてというふうに言っていいと思うのですが、そうした人々の生存権を食い破る構造改革に対してたたかわなければいけない。具体的には生活の最低限保障を自治体レベルできちんと確保させ、ここは譲れないという水準・基準を明確にする。たとえば子どもを育てるときにこれだけのことは絶対に譲れないでしょう、ということを住民の合意として、具体的に実現する。そういうことが絶対に必要です。

現在、きわめて大きな問題になっているのは生活保護費の削減です。これはまさに憲法の生存権の保障の権利そのものにかかわり、生存権を食い破っていくことになる。これはたんに財政費削減のためにという問題ではありません。生存権を食い破ってゆくような、そういう攻撃を許していいのか、人間が普通に暮らしていくために必要な条件というのを一体だれが保障するのか。国や自治体が保障しなくていったい誰が保障するのかということをはっきりさせることが必要だと思います。

 2点目は、自治体構造改革というのは地域生活に則して出てきますので、たとえば堺の図書館の場合には、民間委託方針を運動の中で押し返したという話を聞きましたが、それぞれの地域の中で、住民リストラ・地域リストラに対して、そうじゃなくて、この地域、この町やこの市では自分たちはこういう生活をして、こういうことがフェアだと思う、こういう水準でやっていきたい、という合意を獲得していく。またそういう構想を自治体単位できちっとつくりあげていく必要があります。この自治体ならなるほど安心して暮らしていけるじゃないか、いまやられているいろんな政策よりもこの自治体のほうがいいじゃないか。具体化されたそういうモデルを私達自身の運動でつくり出していかなければいけない。それはその地域自身の運動でなければいけない。

 特に自治体労働者が眼を向ける必要があるのは、都市部の条件の有利なところはなにかと言えば、たくさんのさまざまな自主的、あるいは自発的な住民団体が存在し、多様な活動をしているところです。そうした活動、運動をほんとうに結びつけてその地域の力にしていく視野の広がり、運動の広がりが大切だと思います。

 川崎の場合、保育所の民営化というのを見越して、川崎市の民生支部で2000から3000ぐらいの保護者のアンケートをとり、「保育所に必要のことはなにか」ということをまとめました。そして自分たちに何ができるのかという保育所に関する自分たちの政策構想をつくろうとしています。そういう力によって構造改革の攻撃を押し返していくということが必要だと思います。

 日本でも兵庫県、徳島県、神戸市、狛江市、八王子市、こういったところでもうすでに議会で意見書が採択されているようです。自治体構造改革の結果、事業がどんどん民間に広がっています。ただ「私は横浜市の公務員からはずれてしまう、なんとか横浜市の公務員のままでいたい。そのほうが安心だし、これから先も保障がある。」ということだけで運動していたのでは、自治体の公務労働組織はどんどん縮小していく一方です。そうではなく、たくさんの人が新しく自治体に入ってくる。その人たちが安心しては働ける条件をいっしょに獲得していく。その保障が絶対に必要です。ですから自治体が新しい事業を委託に出す場合、委託先で働いている人の労働条件があまりにひどい企業や団体には、委託を行えないようにさせていく必要がある。そういうふうに視野を広げて、今までの自治体のあり方を単純に守るではなく、前に向かっていまの構造改革の攻撃を突破することではじめて住民の自治と、住民の生活、そして自治体の公共団体としてのあり方を守ることができるのだと思います。このことを最後に申し上げて私の話を終わらせて頂きます。

-2004.12.21-


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